7月20日、26年ぶりに選挙に行ってきた。
この一文で読む気を失った方もいるかも知れない。しかし、わたしにとっては大きな一歩だったので、勇気を出してここにこうして記しておきたいと思う。
これまでのわたしは政治にも選挙にも無関心だった。票を入れても入れなくても一緒、そう思っていた。けれど、今回は「行かなあかん」と、思った。何も変わらないかも知れない、でも、変わるかも知れない、と。
玄関で靴を履くわたしに息子(13)が「えっ、選挙行くん?なんで?」と、聞いてきた。そりゃそうだろう。息子が生まれてから、わたしが選挙に行く姿など見せたことがないのだから。「なんで?」と、聞かれて、何か最もらしいことを言うべきか、と、悩んだのだけど、何を今さら格好をつけようとしているのだ、と思い直し「なんか、今年は行かなあかんと思ったからな」と、なんの捻りもない返事をした。けれど、これが正直な気持ちだし、本当の理由だから仕方がない。
さて、わたしが選挙に行くのは26年ぶりだと書いた。そう、前回選挙に行ったのは、わたしに選挙権が与えられた20歳の時。父が「一回は行っとかなあかんからな」と、言って、わたしの母校である小学校に父と二人して選挙に行ったのが最初で最後だった。
「誰に投票したかは、親にも言うたらあかん」と、父は言った。ただ、当時誰に投票していいのやらわからないわたしに父が「誰に入れたらええかわからんかったら、自民党に入れといたらええわ」と、言ったことだけは覚えている。今となっては、時代をとても感じる一言だなあ、と、思う。
ちなみに、わたしの両親ともに、全く選挙に行かない人だった。だけど、わたしに選挙権が与えられた年だけは、父は親として一応手順を教えておかないといけないとでも思ったのだろう。この時だって母は同行しなかったし、今はどうかわからないけど、少なくともわたしが結婚するまで実家で暮らしていた間は、両親が選挙に行った姿は見たことがない。
だから、と言って、それを選挙に行かなかった言い訳をするには、わたしはもう十分に年齢を重ねた大人なので、通用しないことはわかっている。自分で考えて今までの選挙にも行くべきだったのだけど、これまでは先ほど書いた通り、わたしが投票しても、しなくても、と思って投げ出してしまっていた。さらに言うと、誰に投票しても何も変わらない、と諦めていた。
けれど、最近はどうも暮らしにくくて不安が多すぎる。わたしの一票など小さなものだけど、だからこそ、ここで変わるべきだと思った。相変わらず政治に興味はないけど、投票はするべきだという考えに変わった。そう、変わらざるを得なかった。
選挙当日の夕方、自転車に乗って、投票所がある息子の通う小学校に行った。夕方の通学路では、小学校を目指す人、そして、小学校から出てくる人たちとすれ違った。「選挙って意外とみんな行ってるもんなんやな」と、驚いた。
なにぶん、わたしにとっては26年ぶりの投票である。手順なんてすっかり忘れてしまった。家に届いたはがきを持参しなければならないのはわかっていたけれど、他にも身分証明書がいるものだと思って、お財布をリュックに入れて投票に行った。そうしたら、なんと、あのはがきだけで投票できた。こんなこと、これまでちゃんと選挙に行っている人からしたら「おまえはなにをいっているんだ」状態だと思うのだけど、わたしからしたら「選挙ってこんな簡単に参加できるんや!!」と、目から鱗だった。もっと、本人確認をされる手続きがあるものだと思っていたからだ。
だから、道中会った人はみんな手ぶらやったんか...!
それと、いつもの授業参観の時のように携帯用のスリッパを持って行っていたら、小学校の中は土足で入れるようにシートが張られていたり、段差のあるところは車いすやベビーカーでも入れるようにバリアフリーに配慮されていたりして、なんというか、こんな敷居が低かったのか、と、感動した。
それに、投票所に入ってしまえば、あちらこちらに係員の方がいて「次はこちらです」とか「お出口はこちらです」と、きびきびと必要なタイミングで案内をしてくれるので、慣れないことにはあわあわと挙動不審になりがちなわたしでも、終始うろたえることなく、無事投票を終えることができた。
また、意外だったのは、小さなお子さんを連れてきているご家族を何組か見たことだった。
そうか、投票所って子どもも連れて行っていいのか!なんとなく、子どもは行けない場所なのかと思い込んでいた。おそらくわたし自身が親に連れて来られたことがなかったからそう思い込んでいたのかも知れない。こんなことなら、息子たちと来ればよかった。
投票を終えて、自転車に乗って家に帰る途中、なんともいえない清々しい気持ちでいっぱいだった。もう年齢はおばさんだけど、ちょっと大人になれた気分だった。投票するってこんなに簡単なことやったんやな、と、わかってホッとしたのもある。同じ選挙結果でも「自分が参加したもの」として見ることが出来るって、こんなにわくわくすることなんやなあと思った。
家についたわたしに息子(13)が「誰に入れたん?」と、聞いてきた。わたしは父の真似をして「誰に入れたかは親子でも言うたらあかんねん」と、返事をした。すると「なんで?」と、聞かれたので、そういえばなんでやろ?と、一瞬考えて、今度は自分の言葉で答えた。
「君に選挙権が与えられた時、昔お母さんがこの党に入れてたなって影響されてほしくないからかな」
息子は「なんか、かっこええやん」と、笑った。わたしも「今の、かっこよかったな」と、自分でも笑った。次の選挙には息子たちも連れて行こうと思った。