また春から学校で仕事をしている。
この冬まで働いていたところとは別の学校で、働かせてもらえることになったのだ。
前とは別の学校ということで、また一から先生方や子どもたちのお名前や、教室の場所などを覚えないといけないし、職員室での勝手もちがうのでまだちょっと大変ではあるけれど、2年目となる今は、何もわからなかった1年目と比べて格段にやりやすく感じている。
昨年は何もわからなくてオロオロしてるうちに終わったことが多かったけれど、今は仕事を探してずっと手を動かしていられるようになったので、時間が過ぎるのがやたらと早い。
さて、前とは違う初めての学校なので、わたしのことを知っている人は誰もいない。前の学校の子どもたちのことを思うと、さみしくはあるけれど、それもそれで何のしがらみもなく楽なものだわい、と思っていたら、突然「渡鳥先生!」と声をかけられて飛び上がった。それは、前の学校で何度か授業のお手伝いをさせてもらったことのある先生だった。
見知らぬ人々の中で働くつもりが、一人だけでも自分のことを知ってくれているとなると、なんだか突然気が緩んだ。しかも、前の学校ではそこまでお話をする機会もなかったのに、知っている顔を見た瞬間、とても嬉しくなって思わず2人で手を取り合ってしまった。おそらく先生も、わたしのことを見て気が緩んでくれたのだろうと思うと、嬉しくなった。それ以来、わたしたちはまるで戦友のようにお互いを気にかけるようになっている。
前の学校では、会釈くらいしかしたことがなかったのに、今や手を振り合う仲。全く、わからないものである。
さて、昨年は、息子の通う小学校の役員、息子の通う中学校の役員、息子のクラブの役員、そして仕事、と4足のわらじを履いていたわたし
(あれ?よく考えると主婦業も合わせたら、5足だったのでは?)
昨年度の秋に息子の小学校の役員の任期が終わったのだけど、このたび、やっと息子の中学校の役員もクラブの役員も任期を終えて、今まで何重にも重ねて履いていたわらじをきれいさっぱり脱ぎ捨てることが出来た。
小学校の役員と中学校の役員は、結果的に役員同士でお友達になることができたので「やってよかった」と思うほどいい経験だったけれど、クラブの役員が人間関係も含めて本当に大変で「やらなければよかった」と何度も何度も後悔したほど疲れ果ててしまった。
でも、やっとそれも終わった。
もうLINEに30も40もメッセージが溜まることもないだろう。保護者会というタダ働きの場において、あれもこれもと価値観の異なる保護者から必要以上に要求をされることもないし(じゃあ、お前がやれよ)と、内心怒りながら文面を作ることもない。膨大な資料を遡って調べる必要もないし、土日の昼に突然話し合いが始まることも、もうない。
無事に任期が終わった。最期まできっちりやり遂げた。やっと全ての役員仕事から解放されたのだ!!
ただの保護者に戻った今、わたしは今大変身軽な気持ちでいる。
小学校、中学校と共に経験した役員仕事は、この先のわたしにとって役に立つかどうか正直なところわからないけれど、息子たちがお世話になっている学校に少しでも恩返しが出来たのならそれはそれでよかったのだろうし、役員を通じて新しい友人と出会えたことは財産になった。
ただ、役員をしている間は、本当に面倒なことが次から次に起こって疲れてしまったので、数年の間は絶対に保護者役員はやらないと決めている。今後、友人に「一緒にやろう」とどんなに頼まれても、息子たちの担任の先生に頼まれたとしても「嫌だ」と、断らせてもらう。
それくらいは許されるほど、役員をやっている間はわたしにとっても家族にとっても激動の日々だったし、役員をやったからこそ、口だけ出すややこしい保護者がどこにでもいることが分かってしまったからだ。
というわけで、わたしは次の役員さんたちに「これはタダ働きなんだから、ほどほどに、適当にね」と、念押しした。責任感に潰されないように、うまくこき使われないように、と。
そして、自分は、口だけ出す保護者には絶対にならねえぞ、と固く心に誓ったのだった。











