わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

うっすらピンチ

 

どこのご家庭もそうなのかはわからないが、我が家はお給料日前になると軽いピンチを迎えることが多い。

今月がわりとギリギリの月だった。

お給料日まであと1週間と迫った日、お財布の中には10000円が残っていた。もちろんこの残金では、そこまでのピンチではない。むしろ、よく残ってくださいました、と、10000円札を拝みたくなるほどだし、なんだったら、わたしの今月のやりくり、うまかったんじゃない?と、自分をほめたくなるくらいだ。

残り1週間で10000円もあればなんとでもなる。そんな初日、お米を炊こうとしたら、米びつの中身が2合分もなかったので「あ、そうだった。お米出さないとだめだったわ」と、買い置きしているお米を取りに納戸に行ったら、なんとそこにあるはずのお米がない。そう、うっかりして買い足すのを忘れていたのだ。

ぎゃー!家計どころか今日の晩ごはんもピンチ。もちろんいくつか冷凍しているごはんもあるけれど、気づいたのが夕方だったので、自転車で慌てて買いに行った。予想外の出費約4000円。財布の残り、約6000円。おっと、大丈夫か?ちなみに、この日の晩ごはんは麻婆豆腐丼だった。

次の日の朝、突然息子(12)が「あ、言うの忘れてた。部活の試合に出るから2000円いるねん」と、言ってきた。なぜ、こんな時に...!しかし、それとこれとは別なのでお財布の中から2000円渡した。残り約4000円!!

わたしとて、お財布の中に10000円あるから使い切りたいわけではない。いくらかは残しておいて次の月に残すなり貯金に回したいのに、自分の確認不足や予定外の出費で約6000円もお財布から飛び立っていってしまった。10000円札1枚の時には強気だったわたしの心とお財布は、1000円札が4枚となり弱気になってきた。残金が減ったのはもちろんだが、1000円札だけが並んだお財布は、すぐに小銭に変わってしまうからか、なんだか心許ない。

けれど、こうなったら自分で決めた生活費の残りの4000円で、どうにか繋いでやりきりたい。もちろんATMに走れば非常用のお金はあるが、とりあえず急用の出費がない限り、これでやってみよう!

こうして、お給料日まで残された6日間は、京都府産のキャベツが1玉300円と安い方だったので、焼きそば・千切りにして豚の生姜焼きと一緒に・お好み焼き、とキャベツと豚肉の三段活用をしてみたり、鶏もも肉を甘辛く炊いておそばの上に乗せてまぜそばにしたり、ちょうどいただいたばかりのアジのひらきがあったので焼いたり、冷凍庫の奥から発掘した牛肉でカレーを作ったりして、なんとか乗り切り、副菜は冷蔵庫や冷凍庫にあったお野菜やコーンの缶詰を使った。

途中、柔軟剤と食器洗剤が切れて買いに走ったりはしたものの (また買い置きしてるつもりがしていなかった) その他に大きな出費はなかったのは幸いだったが、非常にスリリングに過ごした6日間だった。

そして、お給料日。わたしは引き出したばかりのお金を握りしめて、まずはお米を買いに行った。こうして買い置きしておかないと、またいつかのお給料日前のわたしが「ぎゃー!」と、焦るはめになるからである。お米を納戸にしまいながら、これからは洗剤なども含めてストックを常に確認しようと心に決めた。あと、冷凍ごはんも多めにしておこう。何はなくてもお米がないと、食べ盛りで白いごはんが大好きな息子たちを悲しませてしまう。

ちなみにこの月お財布に残ったお金は600円ちょっとだった。

こう書いて読んでみると、うっすらどころか、わりとピンチを乗り越えていたようだ。

 

 

お酒の不思議

 

お酒に酔ってあれやこれやとやってしまった人の話を聞くと、わたしは失敗するほど酔う前に、体質的にお酒を飲むとしんどくなってしまうので、そんな間違いをしてしまう「酔う」という感覚があまり分からない。

昔は父が酔って暴れたり、母が酔って泣いたりとお酒の失敗は嫌というほど見てきたけれど、あの人たちはなぜああなるまで飲めたのか。

体質的に、と書いたが、わたしの場合お酒を飲むと鼻がパンパンにつまってしまう。なんや、鼻づまりだけかい!と、思われるかも知れないが、鼻水も何も出ないのに詰まってしまうから、お酒を飲んでいる間は息苦しくて仕方がなかった。あとは心臓がやたらとドキドキと激しくなることもあって、とにかくしんどいという思い出しかないし、若い時に行ったバイトの打ち上げなどの場は楽しかったけれど、飲むお酒は美味しいとも思わなかった。(ちなみに夫も全く飲めない)

さて、この鼻づまりや動悸の症状は、お酒を飲んだ人の誰しもが経験するものだと、思い込んでいた。「みんな、鼻がつまって苦しいのに飲みたいもんなんやな」などと、思っていたが、詰まる人とそうでない人、また動悸もしない人がいるらしい。

先日、お仕事が休みだった友人宅にお呼ばれした。彼女はお酒が大好きで、やはり鼻づまりも動悸もしないという。「今日は昼から飲める」と、嬉しそうにお酒を飲む様子を、わたしは彼女が用意してくれたジュースでチヂミやピザをつまみながら見ていて、ちょっとうらやましくなった。

わたしが最後にお酒を飲んだのはもう20年以上前のことなので、今はもしかしたら体質が変わっていて楽しめるかも知れない。ただ、わたしはここ数年副鼻腔炎を繰り返しているので、鼻づまりがひどくなりそうで怖いから、やっぱり飲めないな、と思う。

 

それから、わたしにはお酒に関して不思議に思うことがある。

例えばファミレスのドリンクバーなどで紅茶やジュースをたくさん飲むと、しょっちゅうトイレに立つはめになるのに、なぜお酒を飲んでいる人はそんなにトイレに立たないのか。わたしの両親も昔はよくお酒を飲んでいたし、夫の父はわたしたちが実家に遊びに行くとビールを何本も飲んでいたが、頻繁にトイレに立っていたような記憶もない。友人もわたしが滞在している間に500mlのチューハイの缶を2本飲んでいたけれど度々トイレに行くということもなかった。これが、もしわたしが500mlのコーラを2本も飲んでいたら、もう何度トイレを借りていたかわからない(よっぽど喉が渇いていないと、そもそもそんなに飲めないが)

ある時、髪を切ってもらいながら美容師さんと喋っていたらお酒の話になった。ご家族全員お酒が大好きで、お正月はビールを何箱も消費するという美容師さんにこの疑問をぶつけてみたところ「お酒を飲むと、膀胱が麻痺するのかも」ということだった。

 

最近のわたしなんて、息子の学校の役員会議に行く前は、家を出発するギリギリにもトイレに行っておいても、結局会議中に2、3回は必ず学校のトイレを借りる羽目になる。学校の役員室は寒いので、本当は持参した温かい紅茶をガブガブ飲みたいところをトイレのためにグッと我慢してチビチビ飲んでいるのに、だ。もし本当に飲酒で膀胱が麻痺するのであれば、会議の日は朝からクイッと飲んで膀胱を麻痺させてやりたいくらいやわ、などと、ばかばかしいことを思ってしまうほど、わたしからするとお酒の力は不思議で仕方がないのだった。

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紅茶のチョコが好きだから買ったものの

食べるのが怖く持て余している

Call The Midwife コール・ザ・ミッドワイフ〜ロンドン助産婦物語〜

 

わたしの大好きな海外ドラマがある。

シーズン1から11をまた見直してしまい、なんと現在3周目。

いやいや、何回も見すぎじゃない?と自分でも思うが、エピソードの種類が豊富なのと毎回見るたび新鮮で発見があり、展開を知っているからこそ、噛みしめながら大切に見ることができるので、全く飽きることがない。

 

あらすじ

Call The Midwifeとは、2012年から放送を開始されたイギリスの海外ドラマで、現在も続いている。

舞台は1957年のイギリスのロンドンの貧困地区イーストエンドから始まる。そこに暮らす人々は毎日生活に追われ喧噪の中、小さな希望や光を糧に必死に生きていた。ある日、地区の中でも最も貧困層が多く大家族が多いポプラ―地区の修道院、ノンナ―トゥース・ハウスに一人の助産婦ジェニー・リーが赴任してくることから物語は始まる。

感想

貧困がゆえに無知で無計画な住人たち。時代的に女性の地位が低く、これ以上子どもを望まないという選択さえ与えられなかった女性たち。全ての人が医療の力に助けられるわけではなく、時には無念の思いのまま亡くなっていく妊婦や新生児たち。

こう書くといかにも悲しいドラマに感じてしまうが、このドラマの素晴らしいところは現代と違った人と人の繋がりの強さと、日々の生きる力の強さと、愛に満ち溢れた生活が描かれているところだと思う。

当時は自宅で助産婦とともに出産することが当たり前の時代で、妊婦やその家族が助けを求める場所、それが、修道女兼助産婦たちが暮らす修道院ノンナートゥース・ハウスだった。

現代の病院や産院とは異なり、各家庭で出産をしていたため、最初から最後までを診てくれる一人ずつの担当の助産婦が決まっていて、24時間体制でいつでも自転車で駆けつけてくれていた。もちろん家に電話などないので、近所の人がノンナ―トゥース・ハウスに電話をかけるため公衆電話まで走って行ってくれたり、時にはノンナ―トゥース・ハウスまで走って直接呼び鈴を鳴らしに行ってくれたりする。まさに地域密着型で、助産婦たちにとって出産は生活の一部だった。

また修道女であり、助産婦である彼女たちはいつでも妊婦やその家族に温かく寄り添い生きる希望を決して奪わない。もちろん修道女ではない助産婦もそこでは暮らしていて、いつだって妊婦の強い味方である彼女たちは、どんなに怖い夫にも理不尽な家族や環境にも、目の前の妊婦と赤ちゃんを守るためなら知識を盾にして戦ってくれる。

 

シーズン1の冒頭にこんな言葉が出てくる。

「全ての子は愛か欲望で妊娠する。出産には生命の喜び、時には悲劇や苦悩が訪れる」わたしは、この言葉がこのドラマの全てを表していると思っている。

出産とは命がけであり、一人一人生む苦労も痛さも、そしてその喜びや悲しみの重さも異なっているし、もう3人目だから大丈夫だとか、これまで何も困ったことがなかったから大丈夫だとか、そういった確約は一切なくいつ急変するかわからない。

生まれてからもそのまま自宅ですぐに新生児の世話が始まるため、劣悪な環境で産後の体を引きずり、それでも彼女や家族たちは助産婦と子どもを育てる。助産婦たちも産んだら終わり、ではなく、見守り手を添えながら生活が続いていく様子が生々しく、時々ドキュメンタリーを見ているような感覚に陥る。

 

このドラマを観るたびに、なんでも電話とネットで事足りる現代だからこそわたしは生かされているんだなあと思う一方で、貧困はもちろん望まないが、当時の最低限の質素な生活にも憧れを感じるところもある。

例えば、おやつは手作りのケーキでそれを保存するのは大きな缶だったり、落ち込んだ時は同じ助産婦仲間がココアを淹れてくれたり、とっておきの板チョコを分け合って食べたり。生地屋さんで生地を買い洋服を仕立てたり、赤ちゃんの肌着は代々使われている大切な真っ白のものだったり。

大人同士も道端で罵り殴り合ったり、妊婦や赤ちゃんの前でもタバコを吸ったり、当時はまだ緩かった倫理観に驚きながらも、日々をつつましく、それでも小さな光を大切にして生きる人々の姿は神々しささえ感じるのだ。

 

 

さて、わたしは息子たちを2人とも帝王切開で出産している。

若いころから近所のおばちゃんたちに「安産体型だ」と言われてきたので、自分でもまさか帝王切開になるなんて思ってもみなかった。ところが出産予定日が近づいても一向に赤ちゃんが下に降りてこないためにレントゲンを撮ったところ、到底赤ちゃんが通れないほど骨盤が狭かったため帝王切開になった。

「これが江戸時代なら3日は陣痛で苦しんだのち、どうなっていたかわからないね」と、産後の雑談の中でお医者さんに言われた時は「ああ、現代でよかった」と、心から思ったものだ。

というわけで、わたしは、陣痛や出産時の痛さを知らない。

もちろん、わたしは出産方法にこだわりはなく、赤ちゃんが無事ならなんでもいいと思っていたし、帝王切開にも後陣痛という痛みも術後の長い痛みもあるので、どちらがいいなどという考えもなく、どちらもとにかく命がけだと思っているが、このドラマは出産の苦しみや生まれたての赤ちゃんの様子やへその緒などが撮り方や描かれ方が本当にリアルなので、痛みを知らなくても、勝手に涙がこぼれてしまうほど感情移入して引きこまれる迫力と魅力がある。

Call The Midwife コール・ザ・ミッドワイフ〜ロンドン助産婦物語〜は、現在シーズン12まで放送されていて(日本での配信は現在シーズン11まで)1950年代からスタートした物語は、1960年代まで進み、車は増え、各家庭に電気は通り電話は普及され、医療の現場も発達していく様子も、おもしろい。助産婦たちの人間模様も繰り広げられて出会いと別れを繰り返し、どの時代もお気に入りのエピソードだらけのわたしのお気に入りのドラマだ。

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好きすぎて原作本も持っている