わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

ある行旅死亡人の物語

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書店に行った時に面出しされている棚の中で表紙が気になり足を止めて本を手に取ったのが始まりだった

『行旅死亡人』

初めて目にする言葉は読み方すら分からなかった

ゆきたびしぼうにん?

こうりょしぼうにん?

正解は、『行旅死亡人(こうりょしぼうにん)』

その言葉の意味は、病気や自殺等で亡くなり、身元が判明せず引き取り人不明の死者を表す法律用語

 

これは、身元不明、現金およそ3400万円が保管された自宅の玄関先で、たった1人で死亡していた、ある女性の物語

 

共同通信大阪社会部の武田は、なにかネタはないかと昼下がりの喫茶店で朝刊を隅から隅まで読み探していたが、何も見つからない

インターネットに目を移し、過去にも記事のネタになったことがある「行旅死亡人データベース」を開いた

ふと「行旅死亡人の所持金ランキング」を見ると1位は兵庫県尼崎市で発見された女性「34,821,350円」だった

詳しく調べてみると、本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳くらい、女性、身長約133cm、右手指全て欠損、玄関先にて絶命と、ある

尼崎市南部保険福祉センターを経て、担当弁護士に取材を申し込むと「この事件はかなり面白いですよ」と、彼は言った

話を聞くと、自宅からは、氏名の書かれた年金手帳が出てきたが、なぜか住民票が抹消されていた。しかも、彼女が40年近く住んでいた自宅のアパートの賃貸契約書には男性の名前が残っていたが、大家も含めてそんな男性の姿は1度も見たことがないと言う

身元引受人を探すため警察も探偵も調べたが、家の中には、手がかりになるはずの郵便物やレシートさえも、残っていなかったことがわかった

さらに右手指は昔、勤務中に事故で失われていたことがわかったが、労災は本人が断ったという

一体、彼女は誰なのか

どうして大金を抱えたまま、自分の生活の跡を何も残さず、1人きりで死んだのか

 

始まりもわからないことだらけだが、調べていくと、さらに彼女が一体誰なのか、どんどんわからなくなっていく

謎が謎を呼び、これ以上覗き込んではいけないような暗闇の淵さえ見えてくるようだった

文面や残された白黒写真から、底知れぬ気味悪さと、物悲しさが漂ってくる気がした

 

大金を持っているような人が住む場所ではない小さなアパート

ここで暮らしていたはずの彼女の部屋からは、他人との繋がりも、通院歴や請求書といった当たり前にあるはずの生活感が全て消えていた

人として生まれ、名前も家族もあったはずの彼女が身元不明の姿に成り果てるまで、一体、どんな事情があったのか

 

部屋に残されていた数枚の写真と、年金手帳の名とはまた別の珍しい姓の印鑑だけを頼りに、共同通信大阪社会部の武田惇志さんと伊藤亜衣さんの記者2人が、まさしく「執念」で、ある1人の人生を調べ尽くす

 

その文章からは臨場感が溢れ、まさに今目の前で「彼女」の過去を知っている人たちから自分が話を聞いているような感覚に陥いるほどで、個人的には途中の足跡で出てくる「072」から始まる市外局番にドキリとしてしまった

なぜなら、それは、昔わたしの実家があった地域の市外局番だったからだ

年代も違うし、交わることなんてないだろうと思い込み、本のこちら側に立って読み進めていたわたしは、自分の知っている市外局番というたったそれだけの小さな偶然で「彼女」の人生と一瞬すれ違ったような気がして、思わず寒気がした

 

物言えぬ死者の身辺を調べることに後味の悪さを感じるかも知れないけれど、ただ、とても限られた資料から、本の最後に記された「彼女」の足取りまで調べ尽くした記者魂は素晴らしく、記者としての誇りを持った仕事人たちとしての姿は読むに値すると思える一冊だった