わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

米騒動で思い出すこと

今週のお題「お米買えた?」

 

令和の米騒動の最中である。

令和の米騒動という言葉を見聞きすると、途端に令和が古臭く感じるから不思議だ。米騒動という言葉がそう感じさせるのだろうか。

ところで、わたしが中学生のころにも米騒動があった。

当時は我が家も母がどこからか買ってきたタイ米を夕食に食べた。わたしはタイ米も悪くないと思ったが、炊き方にコツも必要だったのだろうし、元々我が家は毎年父の知り合いの方が福島県から送ってくださっていた新米を食べていたので、両親は美味しいお米の味に慣れていたのだろう。母たちは気に入らないと言っていたのを覚えている。けれど、それはお米が手に入らない不安もあってそう言っていたのだと今ならわかる。

 

この時のことを思い出すといつも頭に浮かぶのは、当時実家近くにあったお米屋さんのことだ。そのお米屋さんのおじさんはカリカリに細くていつもムスッとしていて、配達中の軽トラから「じゃまや」と言われたり、歩道でボール遊びをしていただけなのに睨まれたりして「なんやあのおっさん、大人には愛想ええくせに」と、疎ましく思っていた。

さて、当時のお米騒動があった時、ご近所のおばさんが、そのお米屋さんにお米の配達の電話でお願いしたら「うちは今ご贔屓さんにしか売っていませんので」と、断られたそうだ。ご近所さんは、その地にお米屋さんが開店して以来ずっとお米を購入して配達をしてもらっていたのに、である。

怒ったご近所さんは「ああ、そうですか。今まで買ってきたわたしはご贔屓さんとはちがうんですね」と、電話を切り、その足で我が家にやって来て、玄関先で母に怒りをぶちまける様子を、わたしはこっそり聞いていたのだった。(お米屋のおじさん、下手こいたな)と、思った。ご贔屓さんにしか売っていないなんて言わなければいいのに。

そんなお米屋さんの失言はスピーカーと化したおばさんによってご近所中に広まっていき、数年後お米屋さんは閉店した。

閉店した背景には時代やタイミングなどもあるだろうが、それまでスーパーで買った方が安いとは思っていても、ご近所付き合いとしてお米屋さんで買っていた人達がおばさんの話を耳にしたり、おそらく同じ目にあった人もいて、一気に離れていったせいもあるだろうな、と、わたしは思っている。

それから何度かお米屋のおじさんを見かけたが、やっぱりムスッとしていた。

 

もうひとつ思い出すことは、父の知り合いの福島県のおじさんのことだ。

そのおじさんは、父がわたしがまだ小学生のころに出張先で何度も訪れていた福島県で知り合ったそうで、わたしや母はおじさんにお会いしたことが一度もなかった。何十年も新米を送ってくださっていたので、父はよっぽど仲良くなったのだろう。

ところが、2011年に東日本大震災が起きた。

父はすぐにおじさんに連絡をしたが、電話は繋がらなかった。のちにテレビのニュース映像でおじさんのおうちがあった地域が津波の被害にあったことを知ったという。

震災から数か月が過ぎたころだったか、行方不明者一覧のところにそのおじさんのお名前があったらしい。父はおじさんの自宅にも電話をかけていたが、その番号は使用されておらず、もうなにもできない状態になってしまったという。

 

わたしはいつも実家に新米が送られてきても、電話でお礼を言うわけでもなく、お手紙を書くわけでもなく、ただただ送られてきたお米を、母が炊いてくれて、食べるだけだった。子どもながらにお礼を伝える手段はいくらでもあったのに。大人になって結婚して家を出る前もなんのお礼も言えないままだった。

 

わたしは炊きたてならどんなお米でも美味しいと感じられる舌だが、母が「今日は新米やで」と嬉しそうにお茶碗によそってくれたごはんはつやつやのピカピカで、いつもより甘くて美味しかったように思う。

そんな「美味しい」という言葉を伝えることができないままになってしまったことを、わたしはあれ以来ずっと申し訳なく思い続けているのだった。