先日、体調を崩して丸一日寝込んでいたことがあった。
ちょうど夫が休日で家にいたこともあり、どうしたって立てないくらいにしんどかったので、布団の中で過ごさせてもらうことにしたのだが、息子たちが心配してチョコチョコと寝室に来るので、そのたびに喋ったり、一緒にYouTubeを観たりして「全然休まれへんやん」と言いつつ、それこそわたしは横になったまま息子たちと一日中べったり過ごしたつもり、だった。
翌日、少し体調もましになって動けるようになり、夫は仕事へ、息子(12)は中学校へと順に家を出て行き、息子(9)の小学校の登校時間が近づいた時だった。
いつもならそんなことを言わない息子(9)が「お母さんと離れたくない」と泣きじゃくったのだ。「学校に行ってしまえば楽しくてお母さんのことなんか忘れるって」と言ったが、どうしても玄関から一歩足が出ない。わたしに巻きつき泣いて泣いて泣きじゃくるので、結局「すいません、お腹を下してまして…」と、学校に嘘をついて休ませることにした。
「困った子だねえ」と言いつつ、(ま、そんな時もあるわな)と、動けるうちにお皿を洗ったり片付けたりパタパタと家事をしていると、息子がぎゅっと後ろから抱きついてきた。
「よかった。お母さんのスリッパの音が聞けた」
振り向くと、息子の目は潤んでいた。話を聞くと、昨日一日中布団で横になっていたわたしのことがすごく心配だったのと、リビングにわたしの姿がない休日がとてもさみしくて、学校に行っても泣いてしまいそうだったらしい。
息子は、わたしが寝込んでいる寝室に度々来ては、甘えて布団に潜り込んできていたので「さみしい」なんて感情が湧いているとは思わなかったが、息子曰く「リビングでゲームをしていても振り向いたらお母さんがいなかったのが、さみしかった」「スリッパの音が聞こえなくてつらかった」と再び泣きながら語った。
スリッパの音=わたし、という思いが息子の中にあることを初めて知り、そんなに普段からパタパタしてたっけなと思ったが、そういえばこの家の中で一年中スリッパを履くのはわたしだけだ。
そうか、この足音は息子にとっては「元気なお母さん」を感じる安心する音だったのか。
たった一日寝てただけやん!!とも思うが、息子にとっては長い一日だったのだろう。わたしは自分の体のことなので寝ていれば治ると分かっていたが、息子はあれこれ頭の中で考えを繰り広げてあらゆる病気を想像してしまっていたのかも知れない。息子にとって、いつものようにリビングにわたしが座っていない一日は、不安でいっぱいの時間だったようだ。
大丈夫、もう元気だよ、と息子に言って、せっかく(ズル休みで)家にいるのだからと、わたしが唯一作ることのできるデザートである紅茶のパウンドケーキを息子と一緒に作った。
これだけはいつも失敗せずに作ることができる
味見する、と言って息子がだいぶ食べてしまった
味見は作った人の特権だから仕方ないか
ホワイトチョコをコーティングして
パリパリとした食感になるようにしてみた
わたしにとってあの体調不良の一日は、つらいながらも布団でゴロゴロと休養ができてよかったのだが、わたしを想って泣いてくれた息子を見ると、やっぱりパタパタとスリッパの音を立てて元気に動き回って安心させてあげないとな、と思ったのだった。