意図せず出た懐かしい掛け声
今や息子たちと何かを決める時は必ずと言っていいほど使う「じゃんけん」だが、自分が子どものころは今とは全くちがう掛け声を使っていたことを最近思い出した
ある日小さな病院の待合室で、息子たちが何かつまらないことで揉めたので、いつものように「じゃんけんしなさい」と言ったものの、自分の口から出てきた掛け声は
「いーんじゃーんーで、ほーい」だった
息子たちは聞き慣れない掛け声に「え…?」と拳を作ったまま動きを止めたし、わたしも意図せずに口から出た懐かしい掛け声に「え…?」と、動きが止まった
仕切り直してじゃんけんをして、診察を済ませて、お会計をしていたら、病院の受付の人から
「突然ごめんなさい、もしかして、〇〇さん(わたしのこと)って尼崎出身ですか?」と、声をかけられた
尼崎とは、兵庫県にある尼崎市のことだ
枚方出身であることを告げながら訳を聞くと「私、尼崎出身なんですけど、いんじゃんって子どもの時に言ってたんです。さっき久しぶりに聞こえてすごく懐かしくて」とおっしゃっていて、ああ、なるほど、これって京都では聞かないですよねー?などと楽しく話してその場は終わった
が、そのあとで思い出した
そういえば、わたしの父と母は尼崎出身だった
これは、尼崎独特の方言だったのだろうか?
「いんじゃん」はどこのもの?
帰宅後、同じく枚方出身の夫に聞いてみると、夫もやはり子ども時代はジャンケンのことを「いんじゃん」と言っていたらしい
気になってネットで「いんじゃん」と打つと続けて「いんじゃんほい どこ」と出てきたので、思わずほくそ笑んだ
どうやら、わたしと同じように、この独特の掛け声について調べた人たちが、他にも多くいるようだ
ちなみに、「いんじゃん」は大阪の方言らしいが、尼崎を含む大阪周辺の地域に浸透していたのだろう
もう少し調べてみると、和歌山や愛知でも「いんじゃん」は使われていると確認できて、思ったより幅広い地域で使われていたと知り驚いた
しかも、日本の中では「じゃんけん」が主流ではあるが、それに次ぐのが「いんじゃん」勢のようだ
夫ともう少し話してみると、幼いころの掛け声が全く同じで
「いーんじゃーんで、ほーい!」
「あいこんです」
というものだった
夫とわたしで共通していた掛け声のこだわりどころをまとめると、
- いーんじゃーんで、のところで必ず区切ること
- いーんじゃーんをゆっくり言うことで、体勢を整えて後出しを避ける(いーんじゃーんの部分が最初はグー!の部分も担っている)
- あいこでしょではなく、あいこんですと謎の「ん」を語尾に必ず入れること(音程もリズムも一致していた)
わたしと夫は「いーんじゃーんで、ほーい」のリズムだったが、他地域の「いんじゃん」勢も、同じ独特のリズムを刻んでいたのかはわからない
ただ、夫とこの懐かしい掛け声を大真面目に検証しているうちに「あいこんですってなんやねん」と、可笑しくなり2人で大笑いした
「あいこん」やし「です」やし
あいこが続き白熱してくると「あいこんですッ!あいこんですッッ!」と、語尾がどんどん強くなっていくのもお互いのあるあるだった
しかし、よく考えると、あいこでしょ、ではなく「あいこんです」と丁寧に言うことで、互いに気を静めて余計な争いを避ける役割もあったのかもしれない
気づけば末尾に残っていた名残り
と、ここまで書いていて、思い出したことだが、まだわたしが子どものころ、千葉に住む従兄弟と久々に再会をして、じゃんけんをした時、
「じゃんけんぽん!」「いーんじゃーんで、ほーい」と、お互いに全くリズムが合わずに困ったことがあった
そういえば、現在の我が家は「最初はグー!じゃんけんほい!」という掛け声だが、本来は「最初はグー!じゃんけんぽん!」が正しいのかもしれない
だが、わたしと夫が子どものころに散々使ってきた
「いーんじゃーんで、ほーい」
の掛け声が、いつしか忘れてしまっていた今もなお心の中では色濃く残っていて
「じゃんけんほい」
と、末尾だけにその姿を残し、無意識のうちに息子たちに受け継がせようとしていたのかも知れない
こんな風にどうでもいいことを真剣に考えて調べてみると、言葉というものは、まるでそれ自体が意思を持つように、形を変えてもなんとか先々まで残ろうとわたしたちの脳の中で生きているのかもな…
などと、思いがけず深みのある考えに至ったのだった