春休みにわたしと息子たちでどこかに行きたいね、と話していたら、ちょうど同じタイミングでU-NEXTのポイントを使っていないものだからどんどん消えて行っていることがわかった。
調べると、ポイントは映画チケットにも交換できるらしい。
わたしと息子たちの観たい映画を照らし合わせていったら「ゴジラ−1.0」がちょうど上映されていたので、観に行くことにした。
ちなみに、わたしは映画館で観るのが大好きだが、息子たちは主にポップコーンが目当てである。
お目当てのポップコーン!塩とキャラメル1こずつ
息子(8)を真ん中にして、端っこの席に3人で座った。息子(8)は「いぇーい!キャラメルも塩もどっちも食べられるー!」と喜び、自分の手元にあるスプライトと兄の手元にあるコーラのどちらも飲みご機嫌だった。(わたしも手をぐいっと伸ばし兄の手元にあるキャラメルポップコーンをもしゃもしゃ食べたが、コーラは飲み損ねた。塩ポップコーンとコーラって合うよね)
前日の段階では、4席しか埋まっていなかった座席だけど、いざ行ってみると、30人くらいはいた気がする。
それも、ご年配の方々が多かった。
もしかしたらわたしたちが行った時がたまたまシニアデーだったのかも知れないけれど、ゴジラならご年配のファンが多いのもうなづける。
さて、わたしは、ゴジラ作品は「シン・ゴジラ」しか観たことがない。
幼いころ、水曜や金曜ロードショーなどで放送されていたのを、目にした機会があったかも知れないが、自分の記憶に残っているのは「シン・ゴジラ」だけで、観た当時は大興奮したが、今となっては内容はほぼ覚えておらず「すごい映画だった」という感想だけが記憶にある。
そのため、ゴジラに対する基礎知識は、ゴジラ初体験の息子たちとほぼ変わらない。
そんなわたしの感想を書き綴ろうと思う。
以下、盛大にネタバレがあります↓↓↓
戦争に敗れ0になった日本に、さらにゴジラが襲いかかり、−1になってしまう日本。
GHQやソ連などの用語も飛び交い、無力で小さな島国と成り果てた今、見えない鎖でがんじがらめになっている様子がよくわかり、もどかしい。
その中でのゴジラ!
よく、こんな状況でゴジラを登場させようと思ったものである。
初めて映画館でゴジラを観たが、まるで本当に自分がゴジラの足元にいるような臨場感だった。
とてつもなく大きくて、きっと体もゴツゴツと固く、圧倒的に強い生物の足元にいるという恐怖感。
これは映画館でないと感じられなかっただろうから、これだけでも観に来てよかった、と思えた。
「子どもたちと観るならゴジラかな」と選択した「ゴジラ−1.0」だったが、この作品を映画館で観ることができてよかった!と思える大満足感だった。息子たちも「すごかった!」「おもしろかった!」と興奮していた。よかった。
劇中、神木隆之介くんってこんなにも影がある役が似合うんだなと思った。
人の命を奪ってしまったという自分の弱さと、いつまで経っても救われない魂を探し続ける。その全てを背負う若者の姿がぴったりだった。
以前、たまたま日本アカデミー賞を観ていて、その時のスピーチで「(特撮のため)ゴジラの写真を目線にしながら演技したら、自分があんな目の前でゴジラと戦っていて、完成した映画を観てびっくりした」とおっしゃっていたけれど、映画を観たこちらも、なんの違和感もなく目の前にゴジラがいるように感じられる神木隆之介くんの演技力にびっくりした。
特攻機の中から、ゴジラを見据えてぐるぐると挑発する表情や目線は、今すぐそこに見えている死を覚悟している気迫ある表情だったからだ。ゴジラの写真一枚を相手にしていたなんて到底思えないほどだった。
とにかくこの作品が素晴らしいのは「戦後」というタイミングだと思う。
何もかもを失った人間から、さらにまだ奪おうとする敵に、諦める者、恐怖に支配される者、怒る者、いろんな人間がいるが「これ以上の地獄はないさ」と悟ってからの人間が出す力の強さを見せてもらった。
国として、軍として、ではなく、民間人による駆逐作戦は上も下もなく横並びであの大きな一頭と全身全霊で戦う繋がりの強さと無謀さに、素直に応援できる。
捨て身ではなく生きるため、奪うためではなく守るために戦う姿に何度も涙が出た。
なぜ、ゴジラが日本を狙うのか
人を食べるわけでもないのに、なぜ襲うのか
ゴジラそのものをよく知らないわたしには、根本的な謎は謎のままだけれど、それを解明したところで、こんな小さな人間たちなんぞにあの大きなゴジラが操れるわけではない。そこに謎の多いゴジラという存在の恐ろしさともの悲しさがよく出ていた。
わたしの心に残った1シーンがある。
銀座の街でゴジラから逃げ惑う人々が映る中に、突如、橋爪功さんが一瞬だけ映るのだが、戦争を生き延びたあの年齢の男性がゴジラを見上げている(であろう)横顔には、なんともいえない悲壮感があって、とてもよかった。存在とその表情だけで、その場の全てを表すあの1シーンが、まるで白黒写真のように脳裏に焼きつき心に残っている。
余談だが、映画を観に行ったあと、テレビ番組にゴジラ−1.0に出演していた青木崇高さんが映っていた。
わたしはとっさに「あ、ゴジラで特攻機を修理していた人!」と大雑把な言い方しか出来なかったが、息子たちは「橘さん!」と役名で呼んでいた。役名が頭に残ってるんや!と衝撃だった。
息子たちのおかげで青木崇高さん=橘さんと覚えてしまった。(また、橘さんという人が怒りの中に人間味があり、すごくいい役だった)
結果的に予想以上に丸く収まったラストだったけれど、戦争とゴジラで全て奪われたあとだもの、こんな奇跡くらいあったっていいじゃないか、と思う。
悲しみと苦しみだけが延々と続く物語じゃなくて、希望と喜びがある映画の方が今の時代にちょうどいい。
とは言いつつ、ラストのゴジラの足音に胸躍らせたのはわたしだけではないはず。あの瞬間、息子たちと(ゴジラがまた来た!)と、思わず目を合わせてしまった。
ゴジラは恐ろしいけど、生き絶えてほしくはない。
奴がまた来る!と、思わされる演出にまたわくわくしたラストでした。