わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

眠っている時に見えるもの

 

(少し暗い話になります)

治せるものなら治したいもの

それは、わたしが眠っている時に見えるものだ。夢ではない。正確に言うと夢と現実の間のようなもの。実際にはそこにいないのにはっきり見えるもの。幻覚。

わたしは眠ったあと気づくと目を開けていることが多々ある。

それを知ったのは学生のころ何人かでお泊まりをした翌日の朝、わたしの隣で眠っていた友人が「昨日、話しかけたのになんで無視したん?」と尋ねてきたことだった。昨日?なに?どういうこと?と聞くと、夜中目を覚ました彼女がふと隣を見ると目をパッチリ開けたわたしがいた。「起きてんの?」と聞くも、わたしは返事をしない。彼女が身を起こすとわたしはしっかりと目で追った。あまりにも真顔なので気持ち悪くなり「なに??」と聞いたが、わたしは黙って目を閉じた、らしい。

あまりにも身に覚えがないので「寝とぼけてたんかも」と、話は終わったが、その時から(あれ?わたしって夜中目開けて寝てるんかな?)と、思い始めた。

 

そして社会人として働くようになった数年後、夜中寝ていたはずなのに気がつくといつのまにか目を開き天井を見ていることが多くなった。そのうえ、毎回大きなクモサソリが天井が這っているのが見えてびっくりして飛び起きるようにもなった。怖いのはそれらがやけにリアルでゆっくりとあちこち動き回ることだ。最初はびっくりして飛び起きていたが、だんだんとそれが見えたとしても「部屋の電気くらいこんな大きいクモなど日本にいるわけがない」と、すぐに「幻覚だ」と、気づけるようになった。

ちなみに、それらのクモやサソリは「幻覚だ」とわたしが気づくと同時に、ぼやーっと部屋の端に散らばって壁に吸い込まれるように消えて行く。その場でシュッと消えずに端までわざわざ行くのが意志を持っているように感じて気持ちが悪かった。

それが治らぬまま、何年も過ぎ、結婚して今の家では多い時はほぼ毎日見えるようになった。しかも、時が経つにつれ、見えるものは虫だけではなくなった。

ハッと気づくと眠っていたはずなのに、血飛沫が飛んだ壁を見ていたりする。なに?血?じーっと見ているとそれは消えていく。「幻覚だ」と気づいても家族の無事を確認してしまう。すやすや眠る息子たちを見てホッとして目を瞑るがなかなか寝つけない。そんなことを何年も夜眠るたびに繰り返した。わたしはゾンビが出てくる作品が好きなので、影響したのかも知れない。でも、夜中気がつくと目が開いていることは、それとは関係がないと思っていた。

 

思えば幼いころから、高熱を出すとなぜかいつも天井に数字がたくさん見えた。熱で頭も目も痛いのに、1から順に必死で1.2.3.4…と数を探し続けないとそれは消えないと思い込んでいた。数字が天井に浮かび始めると「ああ、また始まった」と、つらくなった。途中でついに次の数字が探せなくなると、悲しくて目から涙が溢れたが、気づくといつの間にか眠っていた。今思うと気を失っていたのかもしれない。そのつらさをうまく親に説明できないのはわかっていたので、誰にも話したことはないが、今でもあの焦燥感を覚えている。

 

ある日、ネットニュースを見ていたら「私、寝ている間にいつのまにか目が覚めてていつも虫が見えるんです」と話している方がいて「あれはわたしだけじゃなかったのか!」と知った。

調べると、睡眠関連幻覚と出てきた。

思っていた通り、ストレスが関係あるらしい。治せるなら治したいが、もう幻覚にも慣れたところはあり、夜な夜なやけにリアルな大きなクモの動きを目で追いながら「わたしの想像力ってすごいなー」と思えるまでになった。ポジティブ!!

 

ただ、熱が出てもあの天井いっぱいに広がる大量の数字はいつの間にか見なくなっていた。それだけでよかったと思えるし、もしかしたら数字を見なくなったようにクモや血飛沫もいつか見なくなるかもしれない。そうだったらいいな、と今は思っている。