わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

起きている時に見えていたもの

 

(少し怖い話もあります)

この記事を書いたあと、もう少し自分の症状について調べていたら、「統合失調症」という言葉が出てきた。

zfinchyan.hatenablog.com

そこには「統合失調症」の症状のひとつに、日常的に幻覚や幻聴があると書いていた。わたしは眠りから覚めた時しか幻覚は見ないが、ふと思い当たることがあった。

幼いころから、嫌というほど見たり感じたりしてきた得体の知れないもの。黒い影や足だけや視線だけだったり、家の中にいるはずのない知らない女の人や、男の人の姿。振り向いたら誰もいないのに聞こえてきた声、鏡の後ろに見えた人。

もしかして、あれ全部幻覚とか幻聴やったん...?

怖い思いもしたし、気持ち悪かったり、不思議な経験もたくさんしてきた。はずだった。けれど、あれは全部わたしのあたまのなかだけで起きていた出来事だったのだろうか。もしそうであれば、わたしには行くべき病院や飲むべき薬があるのではないのだろうか。

自信喪失にも似たような、今までのわたしの経験を全て否定されたような気持ちになり落ち込んだ。今見えている景色にすら疑った。わたしの見ている世界はちゃんと実在するのだろうかとさえ思った。病気に対してネガティブな気持ちはなかったが(人は何かしら病気を抱えている)見えていたはずのそれらが見えていなかったとしたら、あんなに怖かったことに対しても腹立たしいような虚しいような気持ちだった。

 

そんなことを考える日々が続いたある日、1年ぶりに突然連絡が入り、わたしの大好きな叔母と会うことになった。

叔母はわたしの母の妹で、わたしが2歳のころから25歳くらいになるまで、同じ団地の棟違いに住んでいたので(今はわたしの家族も叔母の家族ももうその団地には住んでいない)

わたしの母やわたしのイトコにあたる叔母の娘抜きの2人きりで会うくらい仲がいい。何しろわたしと叔母には「海外ドラマ好き」という共通点があり、食の好みも服の好みもよく似ているのだ。

わたしの心のオアシス、くずはモールで待ち合わせをして、ぶらぶらとお買い物をして、2人でランチを食べていた時だった。

ふと、昔住んでいた団地の話になった。

叔母が言った。「今でも時々思い出すわ。あの団地ってよく変な足音とか視線とか感じたなあ」

わたしがおかしな出来事をたくさん見たのは、圧倒的に家の中だった。それを話すと「え?やっぱり?」と、叔母は驚いていたが、わたしも驚いた。あのころ、そんなこと一言も言わなかったのに!

聞くと、叔母が住んでいたのはその団地の最上階だったのに、よく天井から足音がしたり、いつもどこからか視線を感じて気持ち悪かったという。

その瞬間、この数日間モヤモヤとしていた気持ちが晴れていくように感じた。

やっぱり!わたしが見えていたもの感じていたものは、幻覚でも幻聴でもなかった!!よかった!よくないかもしれないが、よかった!

 

実のところ、わたしはちゃんと病院で診断を受けたわけではないので本当に睡眠関連幻覚かどうかはわからない。ただ、当時住んでいた団地は空が広くて木が多くてとてもいいところだったが、なにかしらの通り道だったのだろうと、そこから離れた今は思う。

そういえば、お盆になると、当時の団地のわたしの部屋の天井に同じ男の人が浮かんでいてこちらを見ているということが続いた時があった。3年目のお盆は来なかったので「あ、成仏しはったんかな」としか思わなかったが、わたしの住んでいた団地は、もしかしたらあの世とこの世の通り道、だったのかも知れないな、と思った。

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叔母とこの日食べた担々麺(黒)

このタイミングでたまたま連絡をくれた叔母には感謝をしている