わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

息子のかわいい言葉たち

息子(9)は、言葉の天才だと思う。

素知らぬ顔をして、時々ハッとすることを言う。

9月なのに真夏日のように暑かったある日、一緒に外を歩いていると空を見上げて、「風は秋やのに、太陽だけは夏やな」とボソッと言った。確かにその日は日陰に入ると涼しかったが、とにかく太陽の熱がすごかった。季節の変わり目の今を確実に表した言葉だと思う。

また、わたしが久々に衣装ケースから取り出した服を着ていると巻きついてきて「この服、冬の匂い!」と言った。久しぶりに着た服を「冬」という言葉で表現したのがかわいいと思った。

ただこんなにもかわいいのに、ひとたび怒ると「あれ?おっさんが憑いてるんかな?」と思うぐらいマシンガンのように早口で怒りをまくし立てめちゃくちゃ口が悪くなるので、そこにはいつも頭を痛めているが (ちなみに、息子のそんな姿を夫と息子(12)はわたしにそっくりだと言う。でも、わたしはあそこまで口は悪くない、と思っているがどうだろう) 怒りながらも、早口で言葉を綴ることができるということは頭の回転が早いのでは?と、親バカ全開ながらも息子の行く末を気にしている。

さて、そんな息子(9)が、最近またかわいい言葉を3連続で言ってくれたので記しておこうと思う。

ある日、わたしの体調が悪く横になっていたら、スッと息子(9)がわたしの布団に潜り込んで添い寝しながらこう言った。

「つまらないモノですが」

謙遜してるー!いやいや、君はつまらなくなんかないよ!

また別の日、わたしが夜布団で寝る準備をしていると、わたしの横に寝転がりながらこう言った。

「どうも、素晴らしいモノですが」

おおっ!ちゃんと自分の価値をわかるようになったか!

そして、つい最近、休日の朝、わたしがいつまでも寝ていると起こしてきてこう言った。

「かわいい生き物がきましたよー」

わたしのかわいいちゃんが来てくれたのね

わたしや息子(12)は、普段から息子(9)のことを「かわいいちゃん」と呼んだりしているが、どうやら自分のことを「かわいい生き物」だと自覚ができていたようである。

息子たちを抱きしめるたびに、この永遠に続くような幸せな時間にも限りがあることが頭によぎり、さみしくなる。

もしかしたら来年の夏には息子(9)がクールに成長していて「あのさ、かわいいちゃんって呼ぶのやめてくれる?」と、真顔で言われてしまうかも。わたしが布団に寝転がっていても、寄りつきもしなって、学校から帰ってきても「おかえりのぎゅーは?」と、もう催促しなくなるのかも知れない。

 

この素晴らしいかわいい生き物たちから、またかわいい言葉をたくさん聞けるように、夫から「甘やかしすぎだ。過保護だ。」といくら注意を受けようともそれを無視してもうしばらくは甘やかしていきたいと思う。