音と声と感情に振り回される
気がついたら、大きな物音、高音の声、騒がしい場所がずっと苦手だった。
フードコートでは周りの人たちの話し声や動きが気になる。雑音に耳が引っ張られて、会話がしにくい。
子どもが突然出す高音の叫び声など高い音は特に耳に響き、おでこのあたりがずっとズキズキする。
カラオケは喉より耳が疲れて、とてもしんどい。
人と喋ったあとはどっと疲れてしまい、自分が言ってしまった言葉、相手に投げかけられた言葉がいつまでも気になるし、もうちょっとちがった言い方をすればよかった、ああすればよかった、こうすればよかったと悔やんでしまう。
あー!楽しかった!と思える瞬間ももちろんあるが
「ああ…あの時の話、嫌な感じで伝わってしまってないかなあ…」
「 もうちょっと旅行のことを掘り下げて聞いてあげたらよかったかなあ…」
「あれって遠回しに私のこと言ってたんかなあ…」と、くよくよ考えて不安になる。
気がつくと頭の中でずっと人と会った時のシミュレーションをしたり、眠れない夜は他人との会話を思い出したり、深く考えたりしてしまう。
誰かが怒っていたら、自分が原因かもと思ってしまうし、人にそっけなくされたらまず何よりも先に「私、何かしたかな?」と自分の言動を疑ってビクビクする。
人がイライラする様子が苦手で、それに対してイライラするし、振り回される。
悲しい映画や怒りを感じる映画を観ると、ずっとその感情を引きずってしまい、自分が何者かわからなくなる感覚が続くので、映画を観る時は自分の体調がすごくいい時でないと、とてもしんどい。
私は育った家庭の環境がそんなに温かい場所ではなかったので、常に自分に自信がなかった。
大きい音で耳が引っ張られるのも、
小さいことをいつまでも気にしすぎるのも、
人からの影響を強く受けてしまうのも、
全部自分の性格のせいだと思っていた。
HSP、という言葉を知る
2、3年ほど前だったか、「HSP」という言葉を見かけたり耳にする機会が突然増えた。
HSP=Highly Sensitive Person
一昔前なら「神経質」と言う言葉でひとくくりにされていた人たちは、
実は生まれつき感受性が強く、人一倍音や他人の感情に気がついてしまうとびきり繊細な性質の持ち主なんだよ、という説明だった。
私はHSPの本を何冊か読み、頭の中の霧が晴れていくような気がした。
そうか、私は生まれつきこうなんだ。
変えようがないし、変わらなくてもいい。
苦手なものは避ければいいし、「苦手だ」と言っていいんだ。
私が感じるこのつらさは、他人には伝わらなくて当然なんだ。
夫は「そんなもの、みんな多かれ少なかれあることだ」と言うが、彼は、私が特別なセミナーや民間療法などに、このままどっぷり浸かることを警戒したのだと思う。
しかし、私はそうではなくて、自分の性質に説明がついたこと、そして、私だけではなく、同じ性質を持った人が試行錯誤しながら生きにくい時を生きていることに、すごく勇気づけられた。
気にしすぎ、なのではなく、気になってしまうのが私なんだ、と。
HSPを盾にするつもりはないが、
HSPを知ることで自分を許すことができた
HSPは今では、造られた病気、特定の病院がお金儲けのために使う言葉、なんの根拠もないもの、そんな風に言われることも多々あるようだが、私はそうは思わない。
どうして、こうなんだろう?
どうして、苦手なんだろう?
と、すごく生きにくかった自分の性格が、自分のせいではなかったことにホッとしたし、何より「生まれつきやもん。しゃーないわ」と、割り切れることで、私は私を許せるようになった。
今ではイライラしている人がそばにいたり、すごくそっけなくされたら「え、私のせい?どうしよう!」と思ったすぐあとに「いやいや、私なんもしてへんから嫌われる理由もないわ。あー、これHSPやから気にしてしまったんやな」と、思えるようにまでなった。
家族に対しても、みんなが特に問題なく過ごしていても、自分はテレビの音が大きく感じる時には遠慮せずに「耳が痛いから、少し下げてもらってもいい?」と言えるようになった。
雑音の中で喋りかけられると、今までは何度も聞き直すことが申し訳なくてわかったふりをすることもあったが、「ごめん、周りの音に引っ張られてしまうねん」と理由を言ってちゃんと聞き直すこともできる。
HSPを知る前より、私は今格段に生きやすくなった。
自分のことを知ることで、自分を認めてあげられたきっかけが私の場合はHSPを知ることだった。
昔の幼い私に
「大きな音しんどいよね。それ仕方ないんだよ、自分のせいじゃないよ。両親は神経質と叱るから余計につらいよね。なんでこうなんだろうと思うよね。でも、大丈夫。大人になったらすごく生きやすくなるよ」
と、言ってあげたい。
HSPを知ることで救われた、というお話でした。