わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

元枚方市民として思うこと②ソフトクリームの思い出を添えて

前回の「元枚方市民として思うこと - わたしのあたまのなか」で、

岡田くんとひらパーが長年築き上げてきた関係が、不本意な形で終わってしまうのではないか、契約終了となった場合、ひらパーを盛り上げてきてくれた岡田くんのポスターが手のひらを返したように撤去されてしまうのではないか…

などと、不安な気持ちを勢いのまま書いてみた。

それからもやきもきする日々が続いたのだが…

ついに続報!

岡田くんとひらパーの愛(けいやく)は続くのだ!

(愛(けいやく)については、ひらパー園長就任10周年記念ムービーをご覧いただきたい)

 

ありがとう、岡田くん

ありがとう、ひらパー

 

同日に公開されたひらパーの広報の方のコメントがぐっと胸にくるものがあるのでご紹介したい。

(正しくは京阪ホールディングスの報道担当者という方らしい)

「岡田さんは地元貢献の思いが強く、恩義を感じている。10年間続いている信頼関係を大切にしたい」

どうだろう、この素晴らしい文章は。

短い言葉の中に愛が溢れているし、感謝が詰まっていると思う。

ひらパーを支え続けてくれた園長に対する最大の賛辞がきゅっと濃縮されている。

 

岡田くんは長らく在籍したジャニーズ事務所を退所するので、片付ける問題も山積みで大変だろうと思う。

だけど、私は、これからも京阪電車に乗るたびに岡田くんの振り切れたひらパーのポスターが見られると思うと、単純にただただ嬉しい。

子どもの頃からの思い出の場所であるひらパーが、今までの岡田くんの功績を無下にすることなく、冷静に判断を待ってくれて本当に感謝している。

きっとまた子どもを連れてひらパーに行くだろうから、園長室でたくさん写真を撮ろうと思う。

ひらパーの思い出といえば、私には「また食べたい」と願うソフトクリームがある。

さて、子どものころにひらパーに行くと楽しみの一つだったのが、園内で食べられるソフトクリームだった。

それはただのソフトクリームではない。

「キャラメルソフトクリーム」と注文すると、コーンの上にくるくる巻かれたバニラの白いソフトクリームを、店員さんが手元にあるキャラメルソースの中にソフトクリームを逆さまにしてドボンと漬けてくれる。

すると、トロトロだったキャラメルソースは一瞬でソフトクリームの冷たさで固まって張りつき、パリパリにコーティングされるのだ。

パリパリと濃厚で甘いキャラメルの中は冷たくてトロトロのソフトクリーム!

本当に夢のように美味しいソフトクリームだった。

記憶では、今はジェットコースターのレッドファルコンの乗り場がある場所のそばに、そのソフトクリーム屋さんがあったように思うが、そのお店はいつのまにか跡形もなく消えてしまった。

いつものようにひらパーである程度乗り物に乗ったあと、「キャラメルソフトクリーム食べたい!」と、そのお店があるひらパーの奥の方に行ったらすでにもうお店がなくなっていて、すごく残念だったのを覚えている。

その日は確か母と弟の3人でひらパーに行ったのだが(昔は新聞屋さんが集金の時のついでによく入園無料券をくれたのだ)「ソフトクリーム屋さんがない〜!」と半泣きになった私は、そのキャラメルソフトクリームがどれほど美味しかったか母に力説したが、残念ながら全く母には響かなかったことも覚えている。

幼いころの自分には、全てが目新しく感じられた思い出で美化されて、実際より数倍美味しかったように今は記憶されているせいもあるかも知れないが、ソフトクリームを逆さまにしてキャラメルをコーティングしてくれるお店に、私はそれ以来出会ったことがない。

どういう経緯でそんな珍しいお店がひらパーにあって、どうして潰れてしまったのかは、今はもう知る由もないが、もうそれが食べられなくなってしまった今は「また食べたいソフトクリーム」として、私の心に永遠に残り続けるのだ。