わたしのあたまのなか

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やめられない癖のはなし

 

誰しもやめられない癖が何かしらあると思う。特にそれは年齢を重ねれば重ねるほどやめることが難しくなってくる。わたしのやめられない癖とは、骨をぼきぼき鳴らしてしまうことだ。

この悪い癖の始まりは、小学4年生の時に一番仲のよかった友人から「指をぼきぼき鳴らしてみたいねん。一緒に練習せえへん?」と、誘われたことからだった。

 

友人とわたしは棟は違えど、同じ団地内に住んでいたので、それからは毎日の下校時にそれぞれ指をくねくね曲げたりひっぱったりして、どうにか指の骨を鳴らそうとした。小学生というのは、どんなにつまらないことでも全力でやってしまうものだ。あのころのわたしたちは、骨を鳴らすために無駄に一生懸命だった。

ある日、友人が「家でやってたら鳴った!」と、言って、朝学校で会うなりその時と同じように中指を親指で折り曲げてぐぐっと押すと、その白くて細い指は「ぽき」と、軽くて高い音を鳴らした。わたしは、心の底からうらやましかった。しかも、友人は「鳴ったらめっちゃ気持ちいいで」と、言う。

元々は誘われて始めたことだけど、いつの間にかすっかりわたし自身も指を鳴らしたくなってしまっていた。わたしがまだ指をふにふに曲げているだけの間も、友人は、着実にステップアップして中指に続いて薬指まで鳴らせるようになり、ついには左手と右手の指を組んで反らせて「ぼき!」と大きな音を鳴らせるようにまで成長していた。

 

そんなある日、いつものように、団地の中の分かれ道のベンチに座って喋りながら指を曲げていたら、ついにわたしの中指も「ぽき」と、鳴った。友人は自分のことのように喜んでくれて嬉しかったし、指の骨が鳴った瞬間わたしの中に稲妻が走ったようで、それが忘れられなくなった。

それからのわたしの成長は目まぐるしく、あっという間に親指以外の指が鳴るようになり、ついには股関節や足首まであらゆる場所がぼきぼきと音をたてるようになったのだ。特にわたしの指の骨の音の大きさは友人の「ぽき」と、いうかわいらしい音とは比べものにならないくらい「ぼき」「ばき」と、迫力ある音が出せるようになった。

このころになると、周りのお友達や、親からも「指鳴らしたら太くなるで」とか「癖になるからやめた方がいいで」と、言われ始めたのだけど、わたしは音が鳴るのが気持ちよくて一向にやめられなかった。

いつものように、指を鳴らしながら2人で下校していると、友人が全然指の骨を鳴らさない。聞くと、癖になるからやめなさいと、お母さんに叱られたという。友人は指を触りそうになっては「あかん!」と、言ってやめて、そこから一切鳴らさなくなった。彼女がやめるならやめようと思ったものの、意志の弱いわたしはついつい鳴らし続けて、こうしてやめられない癖となってしまった。

今では、親指から薬指まで鳴らない指はないし、手首、ひじ、首、ひざ、足首、腰、背中、あとは足の指までばきばき鳴らせるようになってしまった。両手が使えない状況でも片手だけで指を鳴らせることが出来るし、足の指は手を使わずとも、床にぐいっと押し付けるだけで、ぼきぼき鳴る。気がつけば、いつも体のそこかしこから「ぼきぼき」と音がたてられる人間になってしまった。

昔と比べて指がごつくなってしまったので、たまに本当にこの癖を治したいと思うのだけど、もう今さら治す方法もわからない。特に指は、物を書いたりパソコンを触っているとつるような感覚になるので、鳴らさないと気持ち悪くなってしまうほどだ。

あの時、友人のように固い意志でこの癖をやめていればなあ…と、思いながら、ここまで書いて指が疲れたので、わたしはこのあと思う存分指をぼきぼきと鳴らしてしまうのであった。

MBTIのはなし

 

MBTI、という言葉は知っていた。

今より随分前の、それをよく聞くようになり始めたころに、気になって一度やってみたことはある。だけど自分が予想をしていた以上に質問が多く続き「なんだ、これは」と、面倒になって途中で放り出してしまったのだった。

 

 

さて、知り合って2年になる友人のSさんとAさんと先日お茶をした時のこと。彼女たちとは、友人になって2年とまだ日は浅いけれど、わたしはこの3人で共に過ごす時間が、やけに居心地がよくてとても好きだ。

その日も、土曜の午後から集まってファミレスでデザートを食べながら、浅い話から深い話までいろいろ喋っていた時、ふいに友人のSさんが「そういえば、お2人のMBTIってなんですか?」と、わたしとAさんに尋ねた。

共に自分のそれを知らなかったわたしとAさんは顔を見合わせて「その言葉はよく聞くけどさ…」と、答えると彼女は「今度やってみてくださいよ、おもしろいですよ」と、言う。「あれって当たってるものなん?」と、尋ねるとSさんはご自身の性格と当たっていたそうだ。

質問が多くて面倒だった思い出が脳裏をよぎりつつも、Sさんがそう言うならやってみようかな、と、その日の夜の寝る前に試してみた。

 

いざ自分のMBTIを調べてみる。やっぱり質問が多い。しかも、普段「理性」とか「議論」とかという言葉からは程遠い生活をしているわたしは、質問の意味がわからず何度か読み直しながら進めた。おそらくSさんから話題を振られなければ一生やる機会などなかっただろう。とは言え、途中には強くうなづきたくなったり、逆にそんなわけないやろと思いっきり顔をぶんぶんと横に振って否定したくなる質問もあって、以前に試した時よりもおもしろい。そんなこんなでわかったわたしのMBTIは、INFJ-T「提唱者」だった。

へえ、と、結果を読んでみると、その特性として、「まあなるほど、自分のことだな」と、感じることが書いてあった。

例えば、この「提唱者」の弱い特性としては、

・否定的なフィールドバックに敏感

・マイナス感情の抑圧

・欠点を気にしがち

・心を開きにくい

など、普段わたしがくよくよと悩みがちなところが書かれていて、改めて文字にして読むと本当に嫌になる。

ところが、読み進めていると合っている仕事に「カウンセリング・医療・教育・非営利団体での職務」と、ありドキッとした。

実は、ここのところ、今やっている学校での仕事がわたしには向いていないんじゃないのか、と、ちょっと落ち込む日々が続いていたのである。元々期間が限定された仕事ではあるので、今の学校でずっと働けるわけではないけれど、希望すればこの先別の学校で働くことは可能らしい。でも、わたし、この仕事は好きではあるけど合ってるのかな?などと、モヤモヤとしていたのだ。

 

何もMBTIの診断ひとつで「学校での仕事が向いている」と、言うわけではないけれど、MBTIを調べると自分の弱い特性と強い特性を知ることができる。わたしの強みの特性とは、

・他者の感情や動機を理解・解釈する能力

・洞察力のある問題解決

・深い共感力

・丁寧な傾聴力

・成長を促す力

などと、自分では気づけなかった能力を褒められたようで、ほんの少しだけ自信がついたし、何よりわたしはわたしに「こういう面もあるかも知れないし、そこまで悩まなくてもいいんじゃない?」と、ちょっとだけ自分を甘やかそうと、力を抜くことができた。

 

実は今の学校の仕事を「こんな仕事が合ってるんじゃないですか?」と、わたしに教えてくれたのはSさんだった。しかも、それは書類選考の締め切りの3日前のタイミングのことで、決めるなら今しかない!という時だった。

いざ行動に移すべき場面が迫ると「いや、でも、わたしなんかが学校で働ける?」と、腰が引けてどきどきもじもじと悩んだ。すると「私は石子さんみたいな人が職場にいたらすごく心強いですけどね」と、最高の誉め言葉で背中を押してくれたのもSさんだ。

 

彼女は今回も絶妙なタイミングでわたしにMBTIを勧めてくれた。「こういう面があるかも知れない」と、自分の内面を知ることで「ああ、気づかないうちに他の人の心の内を考えすぎていたのかも知れないな」と、思った。自分だけではどうにもできない状況でも寄り添いすぎてしんどくなってしまっていたのも事実だった。

でも、今の仕事はやりがいもあって、わたしの特性にも合っているなら、もう少し続けてみてもいいのかもな。そんな風に、ちょっと心の内が軽くなって前向きに考えられるようになった。

 

 

今度また3人で会う頃には、わたしを取り巻く状況がまた今とは変わってるかも知れないけれど、少なくとも今のわたしの心は救われた。AさんはきっとMBTIを調べてないだろうな。忘れてたわ、とか言って朗らかに笑いそうだ。そんな風に気にしないAさんと、気にしすぎなわたしと、気がつくSさんだからこそ合うのかも知れない。

というわけで、提唱者(もうすでに気に入っている)は、また次に集まってお茶をする日が今から待ち遠しいのだった。

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山の上にまん丸のお月さんが出ていた

最近読んだ本

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今日はわたしが読んだ本について書き残しておきたいと思う。

もしかしたら口調が少しかたいかも知れない。なぜなら、わたしは今「成瀬は都を駆け抜ける」を読み終えてページを閉じたばかりだからだ。「成瀬ー」を読んだあとは、いつもあたまのなかが成瀬口調になる。後半に連れ、元に戻っていくだろうから気にせずに読んでくれたらいい。本来であれば読んだ順番に書き残しておきたいところだが、まずは今読み終えたばかりの「成瀬は都を駆け抜ける」の感想を最初に書こうと思う。

 

1、成瀬は都を駆け抜ける 

  宮島未奈

シリーズ三冊目にして、完結編。

正直なところ、まだまだ読み続けていたいのだけれど、ホップステップジャンプの三つで終わるところがなんとなく成瀬らしい。もう、成瀬たちに会えないのかと思うとさみしいけれど、これでよかったのだ。

先に読んだ夫がわたしに本を渡しながら「最高やったわ。ずっと成瀬のままやった。」と、言った。完結編だから、期待作だから、といった気負いが全く感じられず、あの成瀬のままで楽しめたという意味らしい。夫は普段ビジネス本を多く読み、わたしはエッセイや小説と、普段であればお互いが読む本が交差することはまずない。けれど、この成瀬シリーズは別でわたしと夫は一作目からずっと同じタイミングで読んできたので、わたしたちにとっても深い思い入れのある作品だ。

さて、ここまで書いて成瀬シリーズをまだ読んでおられない方は「どんな本やねん」と気になるところだと思うけれど、もうとにかく一作目の「成瀬は天下を取りに行く」から読んでいただきたいとしか言えない。まるで清々しい水をごくごく飲むかのごとく、本の中の文章が体に沁みこんでいくように、なんとも読みやすく楽しめる本なのだ。三作とも最高だった。ぐっと胸に来たり、きゅんと胸を掴まれたりした。

ありがとう、成瀬。

きっと読み返すから、またその時に会おう。

 

2、何者かになりたくて

  ガクテンソク奥田修二

奥田さんの話し方、言葉の選び方が好きだ。

あたまのなかをギュルルルルと瞬時に動かして紡ぎだす言葉は的を得ていて気持ちがいいし、穏やかな目と声は、愛されていた人という確かな安心を感じることができる。

わたしがそう感じるのは、奥田さんのnoteを読んでいたせいだろう。読み続けてしばらく経ったころ、幼い時は家では「しゅうちゃん」呼びが変化して「ちゅんちゅる」と呼ばれていたと知り、その一文でこの人がどれだけ可愛がられていたかを知った。この本に出てくる家族のお話でも、温かい家族であることがわかるし、芯の強さが感じられる。

ただ、奥田さんの目線で見続けたせいだろうか、わたしはよじょうさんがあまり好きではない。

 

3、アフロえみ子の四季の食卓

  稲垣えみ子

数か月前、図書館でふとタイトルが気になって稲垣さんの「もうレシピ本はいらない」という本を読んでみた。なんでも、冷蔵庫を手放しガス契約を止めて江戸時代を参考にした保存食などを活用して、それでも美味しく彩りのあるごはんを作っているという。それを読んだらもうちょっとこの人について知りたくなったのと、一冊手元に置いておきたくてこの本を買ったのだった。

稲垣さんについては「アフロの人」ということで知っていた。なんとなく厳しくて怖い人なのかな、と思っていたら、全然そうではなくてただの食いしん坊の人が書く美味しい文章だった。

ぬか漬けと、お味噌汁と、梅干し、海苔、さらに干し大根おろしを3日に1回の炊きたて玄米ごはんに乗せて食べる、という献立を想像すると、おなかのなかがほわっと温かくなる。さらに、自宅近くのお豆腐屋さんで買ってきた厚揚げをガスコンロでじーじーと焼いておろし生姜と醤油でかきこむ、なんて描写も「あ、あ、厚揚げが食べたい…!」と思わされるたまらない一品だ。

現実には、我が家には食べ盛りの息子たちと、夫(40代でもまだ食べ盛り)がいるため、そのような献立をした日には「…で、メインは?」だの「え、これだけ?!」だの言われることはわかっているので、到底できない。けれど、この本を読んでから、一人のお昼ごはんの時は、ごはんとお漬物と納豆や、おにぎりとお味噌汁などを好むようになった。真似にも何にもなっていないのだけれど、おなかのなかがほわっとするもの、を食べたくなったのだ。

 

4、台湾はおばちゃんで回ってる?!

  近藤弥生子

大昔に職場の慰安旅行で台湾に行った時に、そのおおらかさがとても気に入った。古き良き場所はそのまま残されながらも、新しい時代もちゃんと取り入れている。たった2泊3日の旅だったので、いいところしか知らないままだったけれど、それ以来、台湾はわたしがまたいつかもう一度行きたい場所として記憶に残っている。

この本はそんな台湾がタイトルについていたし「おばちゃんで回ってるってどういうこと?」と気になって読んだ。

何事も「あの言い方でよかったかな」「もっとできることがあったのかも」などとあたまのなかであれこれ考えがちなわたしには台湾のおばちゃんたちの考え方やものの言い方などが「そうか、それでもいいんや」と気が楽になるところが多かった。もちろん台湾の人の生き方を(それも一部の人の生き方や言動を)まるごと真似するとなると、台湾と日本の文化の違いもあってできやしないけれど、自分の中に小さい台湾のおばちゃんの部分を置いておくのはいいことかも知れないな、と思った。

 

5、私労働小説 負債の重力にあらがって

  ブレイディみかこ

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで以来ブレイディみかこさんの本が出ていたら、わたしはわくわくしながら手に取る。本の中にある鋭い目線で描かれる文章、静かな怒りの文章、諦めながらも絶望はしていないその力強い文章を読むたびに、わたしの視野はちょっとずつ広くなっているような感覚になるからだ。

存在を軽んじられること、自我を踏みにじられること、周りが全員敵だと感じる場面、働いていれば大なり小なり感じるであろうそれらを、連作短編集という形で表現したこの本はわたしにとって忘れられない一冊となった。働くことにおいての怒り、理不尽、悔しさなどが伝わり、ぐつぐつと静かに怒りの鍋をかき混ぜるような本だった。

さて、この「私労働小説 負債の重力にあらがって」は「私労働小説  ザ・シット・ジョブ」という作品のセカンドシーズンらしく、それをわたしは読み損ねてしまっていたようだ。出版された順番とは異なるけれど「ザ・シット・ジョブ」も、これから読みたいと思う。

 

6、迷ったら笑っといてください

  濱田祐太郎

 

最近よくYouTubeのショートでこの芸人の濱田さんの映像が流れるようになり、気になって読んだ一冊。わたしは、濱田さんがR-1ぐらんぷりで優勝した時もたまたま見ていたけれど、そのころのことはあまり覚えていなかった。

今回、この本を読んで、自分の中の線引きや軸はずれないけれど、それをクリアしていたら何事にも柔軟な人なんだな、と知った。

目が見えないまま舞台に立つなんてどんな感覚だろう、と読む前は思った瞬間もあったけれど、読み進めるうちに、目が見えていたとて面白くなければ舞台になぞ立てないじゃないか、と、気づいた。何も、見えることは万能ではなくて、瞬発力と自分の軸足を確かにすることが大事なんだな、と。

濱田さんのことが好きになったか、と問われたら別に読む前と何も変わらない。けれど、読まなければよかったか?と問われたらそんなこともない。そんな一冊だった。