わたしのあたまのなか

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鶏まみれ

 

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以前、友人と京都の丸太町を散策した時のこと。

「この本屋さんに入ってみていいですか?」と言う友人と共に入ったその小さな本屋さんは、あらゆるジャンルの知らない作家さんの本が並び、まるで本のセレクトショップのようだった。所狭しと本が並ぶ店内の目立つ面出しの棚に、その本はあった。

「大変なものを読まされてしまった」という帯の一文と、少し異様な雰囲気を放つ表紙に惹かれて思わず手に取る。

鶏まみれ

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https://item.rakuten.co.jp/book/18500608/

養鶏、ニワトリの内臓、などと言った言葉がページを開くと目に入ってきた。「これは一体どういう本なのだ?」と疑問が浮かぶ。読みたい。これを読んでみたい。知らない作家さんだったけど興味がムクムクと湧いてきた。

けれど、この時、友人とランチをしたあとのわたしのお財布の中には3000円しかなかった。本のお値段は2420円。もし、このあと雰囲気のいい喫茶店を見つけてお茶をしましょうという流れになった時、残り580円ではお店によってはコーヒーも飲めないかも知れない。

そんなわけで、今すぐこの本を買いたい気持ちをグッと押さえて書名を携帯のメモに残してその本屋さんをあとにした。「いつかあの本を読むぞ」と、忘れないように。

 

さて、友人との丸太町散策から1週間後、わたしの手の中には念願の「鶏まみれ」があった。わくわくしながらページをめくる。この本を読んでわたしは初めて繋延あづささんという方を知った。どうやら、これまでに何冊か出版されていて前作の「山と獣と肉と皮」では、刺激的な表紙が物議を醸したらしい。

 

この「鶏まみれ」は、リストラで失業したご主人が「養鶏しようかな」と言い出したことから始まる。元々ご長男が小6のころからお小遣い稼ぎに卵を売るために庭でニワトリを飼っていたので(その様子も本になっていた)ニワトリはごく身近な存在ではあった。卵を採り、親鳥は絞めて家族で美味しくいただく。餌となるため、野菜の切れ端やイノシシの端肉などの生ごみとして捨てるものは減り、小さな循環がごく自然に庭先養鶏として成り立っていた。

けれど、それを養鶏として生業にしてやるには、大きな決断が必要だった。簡単に言えばこれまでの庭先養鶏のような自分たちのための小さな循環とは違って、養鶏とは生き物の命を利用する仕事だからだ。それも、その仕事で生きていくためには、これまでに飼っていたニワトリよりもはるかに多くのヒヨコの数がいる。

悩んだ結果、養鶏で卵だけを売るのではなく、これまでのように卵を採り、親鶏もいただくような庭先養鶏の拡大版はできないだろうか、という考えに辿り着く。

 

ところが、調べたところ、鶏を捌いて出荷するには「食鳥処理衛生管理者」という資格が必要であることが判明する。しかも、その資格を取得するには、

①獣医師

②大学や専門学校にて獣医学、または畜産学の課程を卒業する

③食鳥処理衛生管理者の養成施設の課程を修了する

④食鳥処理の業務に3年以上従事し、かつ講習会の課程を修了する

という4つのうちのいずれかが必要であることがわかった。

獣医師でもないし、子育てもしながらフリーで写真家の活動をしている筆者が今から大学に通うのも現実的ではない。しかも、食鳥処理衛生管理者の養成施設はこの時点では開催されていなかったため、④の食鳥処理の業務に3年以上従事するしか道はないことがわかった。

というわけで、この先養鶏業がどうなるかはわからないにしても、食鳥処理衛生管理者の資格がなければ思い描いた養鶏の仕事はできないと考え、食鳥処理の仕事を始めることにしたのだった。

 

 

およそ3年10か月に及ぶ、養鶏場にまつわる日々は、まさに「鶏まみれ」だった。

食鳥処理、という単語を恥ずかしながらわたしはこの本で初めて知った。普段スーパーでお買い物をする時に、食べている鶏肉がどうやってパックに詰められているか、なんて考えることもなかった。もちろん、鶏が殺されて羽をむしられモモ肉や胸肉になっている、だからこそもったいないことはせずにちゃんと残さず食べる、ということまでは意識しているけれど、その過程がどのようになっているかなんて見たことも聞いたこともなかった。

いや、見ようとも聞こうともしてこなかったのかも知れない。

ずらりと並ぶ逆さまに吊られたニワトリたち。それらの首を手作業で切り、血を流し、お湯につけて羽をとり、尻切りをして内臓を取り出す。文字にしてみても大層なことだけれど、このようなことが、外に匂いが漏れないように熱気のこもった工場の中で毎日熟練した人々の手で行われているから、わたしたちはつやつやの薄桃色の安心安全な鶏肉をいつでも買えて食べることができている。

そんな当たり前のことを、この本では上からでも下からでもなく、真正面から見たもの、そこで出会った人々の姿を、臨場感溢れる言葉と気持ちの入った感情のある言葉で描かれていて、ほぼ最低賃金だという「みんなの食べる肉を支える仕事」の凄さを伝えてくれていた。

しかも、著者の目指すものはもっと先にある。

自分たちで養鶏という仕事をするために、鶏舎を作り、ヒヨコを仕入れて育てて、卵を販売するルートを開拓する。それらとさらに写真家という仕事と子育てまで同時進行でするという日々。

そして、生き物の命を利用することへの葛藤、養鶏という仕事の奥深さ、商売をすることの難しさなどなど、調べて考えて自ら動いて進めなければならないことは山ほどある。その日々は、想像するだけで目が回るほどに忙しく、あたまのなかは常にフル回転だったのではないかなと思うと、普段ぼーっと生きている自分と同じ24時間で本の中の出来事が進行されたということが信じられないほどだった。

また、作中に様々な本の情報が出てくるのも大変読み応えがあり、わたしはこの本から派生していろんな世界に興味を持つことができた。

 

命をいただく、ということはこういうことだ、と考えさせられた一冊。

知らないまま食べることと、知ってから食べることは、わたしにとってまた違うものになったと思った。もちろん、だからこそ鶏肉に限らずお肉を食べない、という選択もあるだろうし、知らないまま食べる、というのもまたひとつの選択であるだろう。

ただ、わたし自身はこの本を読むことができて本当によかったと思っているし、帯に書いていた「大変なものを読まされてしまった」という一言は、まさしくその通りだなあという読後感だった。厚みのある本だけれど、途中で緊張感が途切れることなく話がまとまって分かりやすく素晴らしい読み応えのある一冊だった。

 

 

ちなみに、最初に書いた丸太町を散策した友人とは結局喫茶店には入らずに、暑い日だったのでコンビニでアイスを買って、京都市役所の屋上テラスのベンチに座って景色を眺めながら一緒に食べた。

大人になってからも風に吹かれながら友達とアイスを食べることができるなんて、とても嬉しかったし、わたしにとって忘れられない一冊と出会えていい一日であった。

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丸太町から見た鴨川