昨年の春から、約15年ぶりに働き始めた。
働き始めたと言っても、初めから期間限定のお仕事だったため、先日、ついに最後の出勤を終えて、わたしはまた無職になった。
最後の出勤日の朝「この駅で降りるのも、この道を歩くのも、この学校の門をくぐるのも、もうこれで終わりだ」と、噛み締めながら歩いた。その時の気持ちはとにかく清々しさでいっぱいだった。
今日を終えればまた無職になるけれど、そんなことなんかより、15年ぶりに働けたこと、そして期日までしっかり勤められたことが嬉しくて仕方がなかった。もっと言うと、もうこの学校の子どもたちに会えないことに対して、さみしい気持ちなんて全くなかった。とにかくやり遂げられたこと。そのことが、本当に嬉しかった。
仕事が始まり、教室の横で、次の授業の準備をしていたら、よく話す機会があった女の子が近づいてきた。「先生、いつも準備ありがとう」さらに、男の子たちが数人やってきて「これ運んでいい?」「なんか手伝えることある?」と、聞いてくれた。子どもたちが手伝ってくれたおかげで、最後の準備はあっという間に終わった。
いつものように授業の終わりが近づいてきた時、担任の先生が、
「では、今日で渡鳥先生がお手伝いしてくれるのは最後になりますので、ご挨拶していただきましょう」と、お時間を取って下さった。
最後は、ちゃんと顔をみんなに見せようと思って黒板の前に立って、マスクを外して話始めようとしたら、いつも授業のお手伝いをしていた別のクラスの子どもたちが、担任の先生に連れられて教室の後ろに並び始めた。何も聞かされていなかったわたしはびっくりした。こんなに盛大に見送ってくれるなんて!
その時に気づいた。そうか、子どもたちはわたしが最後だって知ってたからお礼を言ってくれたり、手伝ってくれたりしたのか。
「短い間でしたが…」と、子どもたちの顔を見ながら話した。ああ、もう終わるんだな、と思ったら、それまでの嬉しいだけの心に、さみしい気持ちがむくむくと湧いてきた。泣きそうになったので、慌てて締めくくってあたまを深々と下げた。耳に届くみんなからの拍手の音が柔らかくて温かかった。
あたまを上げると、担任の先生が「これ、子どもたちからです」と、言って、これまで関わったこどもたちからのメッセージカードの束をプレゼントしてくれた。こんなものまでいただけるなんて知らなかったので、嬉しくてまたびっくりした。
授業が終わり、廊下で片付けをしていたら、これまでそんなにお話したことのなかった女の子が「これあげる」と、言って手作りのブレスレットを持ってきてくれた。それから、その最後の授業の時も、一緒に工作をした別の女の子も「はい、キャンディあげる」と言ってキャンディのミニチュアをくれた。
さらに、いつもわたしのことを「先生」ではなく「助手」と呼んでいた男の子は、その場でお手製の知恵の輪を作ってくれて、いつもおしゃべりが上手だった女の子は、ちょっと照れながら「サインください」と、言ってくれたので、その女の子の似顔絵を描いてわたしの苗字を書いて渡したら喜んでくれた。
片付けを終えて、職員室で最後のご挨拶をして、門を出た時思わず「よし!」と、声が出た。やった、やった、やり切ったぞ!ちゃんと最後まで働けた。みんなにありがとうが言えた。よし、やった!
家に帰って、温かいミルクティーを飲みながらこどもたちからのメッセージをじっくり読んだ。たくさんのありがとうが並んでいた。びっくりするくらいの優しさが詰まっていた。こんなにわたしのことを見てくれてたんや、と驚いた。
お別れのご挨拶の場を設けてもらえて、さらにメッセージカードまでいただけたのは、配慮してくださった学校の本物の「先生」たちのお心遣いのおかげだ。先生たちも子どもたちもみんなとても優しいから、お礼をたくさん言ってくれたけれど、むしろ、わたしの方こそ、たくさん学ぶ機会を与えてもらって、感謝の気持ちでいっぱいだった。
好奇心とか、考える力とか、導く言葉とか、切り替え方とか、子どもを育てる、という学校の現場を見せてもらうことができて、とても勉強になった。学校で働かせてもらえたからこそ、気づくことが出来たり、わかることばかりだった。
仕事を終えた今は、これからどうするかまだ決まっていないけれど、もしまた別の学校で働くことになっても、こんなにたくさんのありがとうを受け取ることはもうないだろう。もちろん、時に色々思うことはあったけれど、それでも、いい学校で仕事をさせてもらったな、と思った。

ありがとう、みんな元気でいてね