わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。日々のこと、美味しいものや旅日記、好きな海外ドラマについても書いてます。

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さみしいのはじまり

 

現在小学4年生の息子(10)が通う塾の新学期が始まった。小学校ではまだ4年生であるものの、塾ではもう早くも5年生の授業がスタートしたのだ。

5年生ともなると授業時間も増え、週に2、3回は夜のお弁当を持参しなければならなくなった。そうすると、現在中学2年生の兄である息子(14)が、かつてそうだったように家族4人で自宅で夕食を食べる時間がグンと減ることになる。

そんなこと、息子(10)が塾に通うと決めた時から、もうわかっていた。ちゃんとわかっていたはず。なのに、いざ息子がいない夕食を迎えたらさみしくてさみしくてたまらない。

特に、わたしと息子は並んで座って食べていることもあり、息子が塾でお弁当を食べる夜は隣の席が空っぽになる。

これまで、食事をする時にはいつも目に入っていた小さな丸いあたまが見えない夜は、胸がきゅっと締めつけられるような気持ちになる。あの子が隣にいない。さみしくてさみしくて、気を抜くと涙がこぼれそうになる。

 

もちろん、さみしいのはわたしだけではなく、息子(14)と夫も、息子の不在がだいぶこたえているらしい。ある塾のあった夜、息子(14)が「静かやな」と言い、夫が「まだかな」とリビングの壁にある時計を見上げた。家で塾の終わりを待つわたしたち3人は、息子の帰りが待ち遠しくてそわそわしている。

ふと、息子(14)の5年生の時もこうだったと思い出す。さみしくて、心配でたまらなかった。塾が終わる時間まで、ずーっとそわそわしていたんだった。でも、息子(14)の時はまだコロナ禍だったこともあり、zoomで塾の授業を受ける機会も多かったので、お弁当を持参するようになったのは5年生の後半からだった。不謹慎は承知で、またzoomで受けさせてもらえたらいいのにな、なんて思わず考えてしまう。

 

ただ、当の息子(10)は、塾へのお弁当持参を大変喜んでいる。幼稚園の時以来のお弁当が美味しくて嬉しくてたまらないらしい。

夕方の塾に行く時間が近づいてくると「あの冷凍のコロッケ入れてくれた?」とか「前、そぼろのお弁当持ってきてる子がいて美味しそうやった」とか「卵焼きは?」とか、わくわくしながらお弁当の中身を気にしてくる。

そんな無邪気な様子を見ると、息子の不在がさみしいわたしの気持ちは、中学受験を目指して塾をがんばる息子にとって邪魔にしかならない、とじわじわ出てくる涙をぐっとこらえる。

わたしが「さみしい」といえば、息子の心にさみしさを生み出して足を引っ張ってしまうことになるだろう。わたしが泣いたら、息子は塾で泣き顔のわたしを思い出して罪悪感を感じてしまうことになるだろう。

 

ごく稀に、息子が「塾行くのめんどくさい」と言う時がある。だめだめなわたしは思わず「休んだら?」と言ってしまう。「がんばれ」なんて言えない。だって、さみしいから家にいて欲しいんだもの。それに、息子は小さな体でもうすでに充分がんばってるし。たまのサボりくらいいいよ。

不思議なもので親がこんな風にだめだめのよわよわだと息子は強く育つらしい。「いや、でも、休んだらまた面倒やし行くわ」と言って、結局息子は塾に行ってしまう。うう、休んでいいのに。

 

そんながんばり屋さんの息子が塾から帰ってくると、またそれだけで泣きそうになる。わたしのかわいいくんが帰ってきた!もちろん、息子(14)も夫も嬉しそうだ。当の息子(10)は、塾終わりでヘトヘト。あー疲れたーとかアイス食べたいとか言って、家族の再会にはそれほど興味はなさそうだ。そんなさっぱりした小さな体の強い姿も、頼もしくてかっこよくて、でもやっぱりかわいい。

 

わたしたちのさみしくてながい夜がはじまった。息子にとってはむずかしくてがんばるお弁当の夜。受験が終わるまで、この夜は続く。

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