わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。日々のこと、美味しいものや旅日記、好きな海外ドラマについても書いてます。

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悲しき花粉症の日々

 

味と匂いのわからない世界を生きて3日になる。

花粉症のせいで、鼻がすっかり詰まってしまい食いしん坊のわたしから食べる楽しみが消えてしまった。

以前、ひどい花粉症で副鼻腔炎になってしまった時「あなたは1月くらいから花粉症のお薬を飲んだ方がよさそうですよ」と、耳鼻咽喉科のお医者さんに言われてはいた。

けれど、喉元すぎればすっかり忘れてしまう性格のわたしは、症状も出ていないうちの1月から薬を飲むのが面倒で、飲んだり飲まなかったりと適当にやり過ごしてしまい、鼻が詰まってから慌てて薬を飲み始めた。ところが、もちろんそれでは時すでに遅し、だったのだ。

 

昨日の朝は、起きた時は鼻が通っていたので「やっと、味も匂いもわかるようになったのでは」と思い、期待をしながら鼻で息を大きく吸ったらやっぱり全くの無臭で悲しくなった。

トーストしたパンの香りも、温かい紅茶の味も、全く分からない。

最近、朝は、トーストの他に、ヨーグルトにバナナを輪切りしたものを混ぜてハチミツを垂らしたものをよく食べる。わたしはヨーグルトの酸味が苦手なのでハチミツは不可欠だ。けれど今は味が分からないのだから、ハチミツはいいか、と思って食べたら、口の中にかすかに酸味を感じて、嬉しいやら腹立たしいやらだった。

仕方がないのでハチミツをいつものようにたらたらと垂らして食べたけれど、ハチミツの味はわからなかった。苦手な味はわかりやすいのだろうか。逆ならいいのに。

少し、喉がイガイガしたので、龍角散のど飴を口に入れてみた。あの漢方みたいな強烈な龍角散の味も今のわたしには何も感じない。無味無臭の飴を口の中でコロコロと転がしてみる。まるで滑らかな石を舐めているようだ。

薬のせいか、花粉症のせいか、とにかく体がだるくて買い物にも行けなかったので、この日は家にあったカニ缶とトマト缶で、カニトマトパスタを作ったけれど、なんせ味がわからないので、何度も息子たちに味見をしてもらいながら作った。目の前でぐつぐつ煮えているトマトソースの匂いも味も全くしないので、悲しくて仕方がない。

息子たちは、パスタを食べて美味しいと言ってくれたのでよかったけれど、わたしにとっては味がわからない赤い麺である。わからないのにいつもの癖で黒コショウと粉チーズをかけてしまった。それでも、いくら啜っても何の味もしないので、途中で食べるのが嫌になり、息子(14)に残りを食べてもらうことにした。

 

 

味がわからないというのはただただ悲しい。それは、食べ物が自分の中を素通りしていくような感覚なのだ。確かに食べているのに、何の味もしない。

そして、匂いがわからない状態というのは、なんというか自分が透明になったような気分になる。どこに行っても何も感じない。他人の匂いも、町の匂いも、自分の匂いさえも感じないからだろうか。

汚いもきれいもなくて、生きている実感もなくて、まるで自分が幽霊にでもなったような気さえしてくる。それもこれも、花粉症の対策をして来なかった自分が悪い。全く、1月の呑気な自分のことを叱りたい気分である。

そして、さらに腹立たしいのは、それでもお腹が空くことだ。

お腹は空くけど、何を食べても味がしないので、何を食べればいいのわからない。結局この3日は、家族のごはんを作る時は、息子たちに味見してもらいながら作り、自分一人だけで食べるお昼ごはんは、食パンを食べたり、白ごはんだけを食べたり、と、味付けをする必要のないものを適当に食べている。

ただ、それでも、口さみしい時は、何かパリパリするものが食べたいので、おかきをぼりぼり食べたりして凌いでいる。きっと、味覚と嗅覚に飢えているわたしは、せめて食感だけでも楽しみたいのだろう。

味はわからないけど、ぼりぼりパリパリと噛みくだいていると、落ち着くことがわかった。ただ、これも、味が分からないのなら、何もわざわざおかきを食べなくても氷でも食べておけばいいのかも知れない。

 

追記

これを書きながら、温かいミルクティーを飲んだら、今日はほんのりと味がわかった。それはまるで、灰色だった世界に色が戻ってきたような感覚だった。やった!やっと食べる楽しみが戻ってきたぞ!!来年は1月から花粉症の薬を飲むようにしよう。