わたしのあたまのなか

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われら闇より天を見る

 

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われら闇より天を見る

/クリス・ウィタカ―

 

本屋さんで並ぶ本たちを眺めていると、時々その中に光るように目につく一冊が見つかる時がある。

あっ、と、思わず引き寄せられる本、つい手に取って、その本の背の一体何が光って見えたのか確認したくなる本。この本がまさにそうだった。

どんな話かもわからない。でも題名からしてきっと暗い本だろう。しかもとても厚い。だけど、どうしてもこの本を読んだ方がいいと自分の直感が呼びかけてくる。だから、手に取った。本当はすぐにでも読み始めたかったけれど、落ち着いて読める時期を待った。読み始めたら他のことが手につかなくなるだろうから、とにかく待った。パラパラとめくって読むようなことは絶対にしなかった。一からきちんとめくって読みたかった。

 

厚く長い本を読むのは久しぶりだった。

読んでいるうちに、つらく悲しい孤独を感じた時もあった。だけど、この本に漂う微かな希望や救いを追っているうちに、わたしは完全にこの本の持つ魅力に憑りつかれてしまった。あの時光って見えたものは確かだったんだな、と、時々発揮する自分の能力のようなものを信じてよかったと思った。読み終えて、しばらくの間本を手にしたまま表紙を眺めてじーっと余韻を楽しんだ。

これもまた、久しぶりのことだった。

 

この本は、ダッチェスという13歳の少女とその家族と家族の過去の物語だ。

13歳、と打ってそういえばあの子はまだたった13歳だったのか、と思った。普通なら毎日キラキラと光って過ごすことのできるような年齢、無責任に感情に振り回されてもいいはずの13歳。けれど、ダッチェスはちがった。自らを無法者と名乗り、悲しみから逃げるようにお酒に溺れている母親・スターと、幼い弟・ロビンをこの世の悲しいことやつらいことから守るために必死だった。父親のことは何一つ知らない。祖母のことは思い出だけ。お互いの家のことがなんでも漏れ出てしまうような小さな町の住人からは同情と警戒の目にさらされていた。

そんなダッチェスたちに手を差し伸べるのは警察署長のウォークだけ。彼はスターと同級生の友人であり、三十年前スターの妹・シシーの遺体を見つけた張本人だった。

 

 

この本はとても長い。

三十年前と現在の心の動きを丁寧に描かれているためでもあるけれど、登場人物もそれなりに多い。そんなわけで、わたしは添付されていた登場人物表を栞代わりにしつつ何度も何度も名前を確認しながら読んだ。初めはそんな風に読んでいたけれど読み進めているうちに、この登場人物表がいらなくなるほど、彼らが本の上で動き始めるような感覚に陥った。姿や声といったそんな実際には目に見えないはずのものがあたまのなかで浮かび、何日もかけて読んだ本だけど長い長い映画を観たような、まさに本の中の世界に入りこんで映像を観たような感じがしている。

 

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物語を照らしてくれた登場人物表

 

さて、本を読んでいる時はカバーをかけていたので気づかなかったけど、原題は「We begin at the last」とある。それを知って、邦題の「われら闇より天を見る」の絶妙なうまさを考えた。

「われら闇より光を見る」のように、闇と相反する「光」という言葉をタイトルに使っていれば、きっと光を探して読んでしまっていただろう。また、「われら地より天を見る」のように、天と相反する「地」という言葉であれば、壮大な星の物語のようにも勘違いしてしまったかも知れない。いずれにしても、これらのタイトルだとこの物語の本質は伝えられなかったように思った。

また、原題をそのまま訳して「われらは最後より始める」でも、なんだかねぇ、という感じだ。最後から始めるという普通なら相違しない言い回しが絶妙ではあるけれど、無機質でタイトルから読み取れる印象が少なくなる。やはり、読み終わった今改めて「われら闇より天を見る」が、最適なタイトルだよなあ、などと思うのだった。