最近のお昼は暑い。少し前まで蒸し暑く感じても、太陽の日差しはそこまで強くなかったのに、最近ではちょっとギラギラし始めたように思う。太陽の距離が近くなったような、太陽からの圧も強いような。おい、どうだ、照らしてやるぞ。そんな熱さをもった太陽の日の光が、じりじりと肌を焼き、熱を与えてくるようになった。ああ、夏が来るんだな。とうとう、夏が、来るんだな。
わたしは秋と冬が大好きなので、夏の到来は憂鬱でしかない。暑いし長いし疲れるし、夏の何がいいのだ。なんて思うくせに、たまに「夏、大好き!」というような人に出会うと、わたしがすぐにへたってしまうあの夏の太陽にこの人は立ち向かえるんだな、と、その人そのものの明るさや強さやたくましさのようなものを感じて、夏なんか子どものころからずっと嫌いなはずなのに、なんとなくあの眩しさを味方にできているようなその人のことが羨ましく思ってしまう。
さて、先日スーパーに行くと、ゴーヤが並んでいた。1本298円。おお、高い。夏の音が聞こえてきていた気がするけど、まだまだ夏の到来じゃなのか。そんなことを考えながら今年はゴーヤチャンプルーを何回作れるかな?なんて思った。
また別の日、今度はいつも行く家のそばのスーパーに行くと、ゴーヤが二本束ねられて売られていた。こんな売り方初めて見たぞ、と売り場に近づくと、なんとそのゴーヤは見切り品で二本で100円だった。色もぱきっとした緑、触ってみてもしっかり固い。どう見ても見切り品じゃない気がする。もしかしたら中の種が赤くなっちゃってるとか...?あまりの安さに戸惑いつつも、こんなゴーヤ見つけちゃったら早速ゴーヤチャンプルーを作るしかないわ!と、その日の夕食の献立がさっさと決まった。
夕方、ゴーヤを切ってみると、中の種もワタも白くてどこも傷んでいなかった。トントンと切って塩を振って苦みを抜いていると、息子(9)がやってきて「今日のごはん、ゴーヤチップス?!」と、顔を輝かせて聞いてきた。あっ、そういえば!息子たちは小学校の給食で食べるというゴーヤチップスが美味しかったとよく言っていたわ!去年の夏もそんなことを聞いたのに、季節が巡るとあっという間に大切なことを忘れてしまう。息子たちの時期の好物は覚えておきたいのに。
でも今日は手元にゴーヤが二本もあるのだ。というわけで、一本はゴーヤチャンプルーに、もう一本は片栗粉をまぶして揚げてゴーヤチップスにすることにした。最後に塩をパラパラと振りかけると完成。さくさくしてほんのりの苦みと塩のしょっぱさがいい。夏本番になったら二本買って二本ともゴーヤチップスにしようと息子たちと話した。

写真を撮った時には息子たちがすでに食べていた

今年初のゴーヤチャンプルー
さて、わたしがゴーヤチャンプルーを作る時にこだわっているのは、最後に入れる溶き卵の甘さだ。大昔に沖縄で初めて苦いと聞いたゴーヤチャンプルーをおそるおそる食べてみたら、甘い甘い卵でとじられたゴーヤチャンプルーの美味しさに衝撃を受けて以来、家で作る時はいつも卵にお砂糖をたっぷり入れる。あと、隠し味にマヨネーズも。これはわたしの好みだけどマヨネーズをちょろっと卵に入れると、甘いだけじゃないコクが全体をうまくまとめてくれる気がする。そのおかげか、息子たちはゴーヤチャンプルーが大好きなので、わたしは夏が来るたびに楽しくゴーヤチャンプルーを作ることが出来る。
夏は本当に苦手だけど、夏が来ないとゴーヤチャンプルーは作れない。そう思うと、ああ、今年も夏が来るのか…という憂鬱の中に、まあ、ゴーヤチャンプルーが食べられるからいいか、と、ほんの少しだけの好きが嫌いの中に一滴だけ混じった気がしたのだった。