芸能人の不倫の報道を見聞きすると、普段なら「あらあら」と、思うくらいだが、どちらかに思春期を迎えるくらいの年齢のお子さんがいるという情報を知ってしまうと、わたしは途端にあのころの自分を思い出して暗い気持ちになってしまう。
わたしが高校生のころ、父が外に女性を作っていた時期がある。彼女との関係が、実際どのくらいの程度の深さだったのかは今でもわからないが、火遊び以上のものだったのではないかと思っている。
父は元々お酒をよく飲む方だったけれど、それはほぼ家の中だけのことだった。それがある時から仕事帰りに飲んで帰るようになり、やがて連絡もなく朝帰りを繰り返すようになった。もちろん母は怒ったが「店の中で寝てしまっていた」「駅のベンチで寝ていた」などとその都度逆ギレをしながら言い訳をしていた。
では、なぜ、わたしが「外に女性を作っていた時期がある」と、知っているのか。
それは、母の気が狂いかけてしまったことがきっかけだった。それまでの父と母の仲がいいとは感じたこともなかったけれど、父が朝帰りを繰り返すようになってから母は気持ちが不安定になり、わたしと弟を泣きながら怒鳴り手を出すようになった。それだけなら、実のところいつもの状態がひどくなったくらいなので、まだ我慢できたのだけれど、ある日の夜中、ふと聞こえた物音にカーテンを開けてベランダを見ると母が立っていた。
夜中に母親が団地のベランダに立っている姿、というのは本当に恐ろしいものだった。当時のわたしは努めて明るく軽い声で「なにしてんの?」と、母に声をかけた。母はぼうっとした顔で振り向き「月見てんねん」と言った。そんなわけないやろ、と思いながらも、わたしは裸足でベランダに出て母の隣に立ち、冷たくなった手すりをぐっと掴みながら母と一緒に月を見上げた。その時「このままじゃあかん」と、父が一体何をしているのか探ってやろうと決めた。
当時父は今の電話の子機のようなコロンとした形の携帯電話を持ち歩いていた。父がどこにも飲みに行かずに家で眠っていたある日の夜、父の枕元にあったその携帯をこっそり取って自分の部屋まで持っていき、電源を入れて履歴の電話番号を全てメモ帳に書いて写した。すると何度もかけている1つの電話番号があった。やっぱり浮気してんのかな。そう思ったわたしは、その次の日の昼休み、高校の公衆電話からその番号に電話をかけた。10コールくらい鳴ったのち「...もしもしぃ?」と、この電話の音で起きたであろう若い女の声がした。すぐにガチャンと切ったけれど、心臓がバクバクした。
水商売の女や、と、直感で思った。若い、寝起きの女の声。電話を切ったあと、ゾッとした。浮気してるんかもとは思ったけど、あんな、若い女と。
それから、ほぼ毎日わたしは10円玉を握りしめて昼休みのたびにその女の家に電話をかけた。わたしの家を壊すなら、わたしもこの女の睡眠の邪魔をしてやると思った。今思えばこの女性が本当に父の浮気相手だったかなんて証拠はなかったけれど、普通の会社員の父が昼過ぎまで眠っている女性とよく電話をしているなんて、もうそうとしか考えられなかったし、今でもそう思っている。そんな無言電話を続けていたある日、わたしが昼休みにふらっと教室を出ていく姿におかしいと気づいた友人が「毎日なにしてんの?」と声をかけてきた。この子になら話してもいいか、と思い、父と母のこと、そしてわたしが何をしているかも打ち明けた。
彼女は言った。「その女の家に行ったろうや」「せやけど電話番号しかわからへんねん」「ハローページで住所調べたらええやん」その手があったか!と、その日以来、昼は無言電話をかけ、放課後はお互いの家から持ってきたハローページをめくって、二人で喋りながらその番号を探し続けた。もちろん浮気をした父が悪いとは言え、わたしは、あの「もしもしぃ?」とねちゃねちゃと気持ちの悪い甘えた声を出した女のことが気にくわなかった。
お前のせいで家の中ぐちゃぐちゃやねん。
お前のせいでお母さんの気が狂いかけてんねん。
さて、ここまで読んだ方はわたしがその女性と対面する姿を期待されただろうか。残念ながら、いくらハローページをめくっても、その女性の住所までは辿りつけなかった。
では、結局父の愚行はどのように完結したかというと、それは母の爆発によって終わりを迎えた。ある日、父がお風呂から上がった姿を見て母は叫んだ。「なんやの、その背中!?」父はいつもお風呂から上半身裸でリビングにやってくる。母の金切り声にびっくりしたわたしも思わず父の背中を覗き込むと、その背中には無数の赤い線が入っていた。長い爪でひっかいたような赤い線。なんであんな声の若い女がこんなおっさんと…と、めちゃくちゃ気持ち悪かった。
父は母の声に驚きながらも「自分で掻いたんや」と認めなかった。それどころか「いちいち疑うな」とか「大きい声出してあほちゃうか」と、母を怒鳴った。
父と母の夫婦喧嘩(というか、父の逆ギレ)に付き合うのも嫌で、わたしは部屋に戻った。すると、「全部知ってんねんからね!!」と、さっきよりも大きい声で母が叫ぶのが聞こえた。ええっ、と、びっくりしながらリビングに戻ると、母はメッセージカードのようなものを手に持っていた。そこには丸っこい文字で「◯◯さん(父のこと)、この前のデート楽しかった!また連れていってね」と書かれていた。どうやら、父の作業着の胸ポケットに入っていたらしい。
父が母よりも大きい声で怒鳴った。「なに、人のもの勝手に漁ってんねん!!ええ加減にせえ!!」その言葉にわたしの怒りの線もプチンと切れた。わたしは父に向かって初めて怒鳴った。「わたしも全部知ってるわ!その女にいつも電話してるねん。家探してるけど全然見つからへんわ。なんなん?わたしはこれからあの女のことお母さんって呼んだらええの?!」
父は「え…?電話?」と、わたしを見て止まり、母も「なに?電話?家探してる?」と、止まった。それで、わたしは我慢していたものが一気に溢れて泣きながら全てを話した。もういい加減にしてくれ、浮気も気持ち悪いけど、お母さんを怒鳴るのはちゃうやろ、と。お母さん、夜中にベランダ出てたんやで、と。わたしの話を最後まで聞いても父は浮気を認めなかった。「仕事で会った人がふざけてデートって書いただけや」とか「スナックのねえちゃんからよく来てくれって電話がかかってくるから履歴に残ってただけや」などと言って、最後まで認めなかったが、母に怒鳴ったこと、わたしに心配をかけたことを謝り、それ以来、朝帰りをすることはなくなった。
あれから数十年経った今も「不倫」と聞いて、そこに年頃の子どもがいると知ると、わたしはあの時の高校生のころの暗い気持ちに一瞬で戻ってしまう。あの電話のコール音、夜も一人でハローページをめくった音、母の金切り声。それは、自分の家の中が壊れていく音だった。自分がいくらがんばっても解決できないあのころのつらさやもどかしさが蘇ってきて、ズンと暗い気持ちになってしまう。
ちなみに、一緒にハローページをめくってくれた友人は、わたしに息子(13)が生まれた時にも会いに来てくれたけれど、そのあと連絡が途絶え何年年賀状を出しても戻ってくることはなく、すっかり疎遠になってしまった。もしかしたらあのあと結婚をして家を出たのかも知れないが、共通の友人に聞いても何もわからなかった。疎遠になってはしまったけれど「その女の家に行ったろうや」と、あの時言ってくれて、二人でたくさん喋りながらハローページをめくったことは、あの苦しかった毎日の中で唯一の楽しい思い出であることに変わりはない。
