※少し暗いはなしになります
ある日の朝、風が強かった。
わたしは幼いころから風が強いとわくわくする。それはすっかり大人になった今も変わらない。その日の朝の風は季節の上では春のはずのに、まるで秋の夕方前の木枯らしを感じさせるような乾いた風で、それはまたわたしがとびきりわくわくする大好きな風の具合だった。
生暖かい風、強い風、冷たい風、春の匂いや雨の匂いを運んでくる風。
風にはいろんな種類があるけれど、わたしはこの日の朝吹いた風のように、少しだけ冷たくて、ヒュッと軽くて、吹いてはサッと消えていく風がとても好きだ。季節のなかで秋が一番好きな理由は、空や木々の風景が美しいからということもあるけれど、こんな風がよく吹いてわたしの心をわくわくさせてくれるからだ、と思っている。
そんな、まるで秋みたいな風が朝からわたしの頬や体を撫でて通り過ぎていった。風を浴びた時、またわくわくできたことに、そんな気持ちにまたなれたことに、わたしはホッとしてじわっと目に涙が浮かんだ。
ここ最近、ホルモンバランスが大きく乱れているせいで、わたしの気分はガッタガタだった。ガッタガタ、なんてどころか天から地まで上下に行ったり来たり。感情というものにもし実際に天井と床があったのならば、わたしは今ごろあたまをぶつけまくってたんこぶだらけ、体中あちこちぶつけて怪我だらけになっていることだろう。
なるべくイライラはしたくないけれど、何気ない夫の言葉にカチンと来たり、ああ、毎日楽しいなあと感動したり。あれ?わたしという人間はどんな性格だった?と、急に不安になったり。気持ちが上と下に行ったり来たりで疲れてしまう。
特にここ最近は、感情がどこまでも下に向かって行ってしまう日が続いた。
底なしのように、気持ちが塞がれていき、上に戻れない。数年ぶりに「もう人生を終わらせた方が楽だ」という考えがあたまに何度もよぎる。あかん、絶対にそんなことせえへん、と打ち消しても、またすぐに「その方が楽やって」と浮かぶ。
気を抜いたら「あ、そんなつもりなかったのに、死んでるやん」と、なっていそうな自分がとても怖かった。負ける、負けない、じゃなくて、自分のあたまも考えも、自分のものじゃないみたいで怖かった。必死にそうならないように息子たちの顔を思い浮かべた。息子(9)のもみあげから香る赤ちゃんみたいないい匂いを思い出した。息子(13)が口を大きく開けて笑っている顔を思い出した。終わらせるのは今じゃない、今終わらせる必要はない、と、思い続けた。気を抜かなかった。絶対にそんなことはしない。おい、ホルモン、ふざけんじゃねえぞ、と自分の腹の中に怒りを向けることで、わたしはわたしの心と体を見張り続けた。
夜になって夫がわたしの顔を見て「どうしたん?」と気づいた。なんもない、と言っても「おかしいで」と引かない。「死にたくないねん、でも、なんかずっとそんな考えが浮かぶねん。しんどいねん」と、本心を口にしたら、腹立たしいやら情けないやらで、今度は涙がだーっと流れた。
「今こうやって泣いてるけど、でも別にずっと泣きたかったわけじゃないねん」と言うと「更年期は大変やな」と、肩を揉んでくれた。息子たちが「どうしたん?」と来たので、いかんいかん、と、泣き止もうとしたけど無理だった。開き直って「悲しくないのに泣いてしまうねん〜」と、言ったらわたしの置かれた状況を理解してくれたのか優しくあたまを撫でてくれた。
そうか、このぐっちゃぐちゃの感情を隠そうとしたから溢れてしまったのか、と思った。もう、これはわたしのことだけどわたしにもお手上げ、ぐらいに思おう。なんかもう、死なへんかったら家族の前で泣くくらいいいよな、と割り切って、ボロボロボロひとしきり泣いたら少し落ち着いた。
一夜明けて起きて外に出たら、その朝の風はわたしの好きな風だったので、生きててよかった、と思った。次に下向きにまた気持ちが動いた時はこの風のことも思い出そうと思った。あの時は乗り越えたんや、と。
だから次にまた波が来ても絶対に大丈夫、と。

波を乗り越えた次の日、久しぶりの散歩部活動中に撮った桜の写真。
今年は桜の写真が撮れなかったことを残念に思っていたから、撮ることができて、とても嬉しかった。写真を撮った時、部員である友人たちが足を止めて待ってくれて、その一瞬の優しさがとても嬉しかったし、歩きながらいつもの会話が出来たことも、また、自分を取り戻せたと感じた瞬間だった。