最近好きになったもの、それは、Mrs.GREEN APPLEの歌だ。
わたしは普段歌を聴かないので、実はつい少し前まで(ファンの方々には大変申し訳ないが)「Mrs.GREEN APPLE」と「Official髭男dism」の区別がついていなかった。Mrsの歌を遡って聴くようになり「あ、この歌はMrsが歌ってたんや」などと知ったくらいの薄くて浅い人間である。(ちなみにOfficial髭男dismの歌で好きなのは午後の紅茶のCMで流れる曲だ)
さて、わたしがMrsの歌で初めに、いい歌だなと思ったのは息子(12)が好きだと言う「ライラック」を聴いたのがきっかけだったけれど、あれこれ聴き漁っているうちに「soranji」という曲に出会って衝撃を受けた。
なんだ、この歌は。聴いているうちにじーんとして涙が溢れた。生きて欲しい、という気持ちが伝わってくる。生きないといけない、と強く感じる。でも圧がない。温かくて優しい。高音が続くのに全然苦しそうではなくむしろ伸びやかで、聴いているうちに気持ちがしん、と落ち着く。聴き終わったあと、階段を登った気がした。
その日から毎日「soranji」を聴き続ける毎日だったけれど、ある日、この曲がひとつの映画の主題歌だったと知り、俄然そちらも気になった。
この歌と内容がリンクしているのだろうか。だとしたらそれは一体どんな映画なのか。歌だけでもこんなに感動するのに。これは映画を観て初めて完成する歌だとしたら、わたしはそれをやっぱり知りたい、そう思った。
というわけで、観たのが映画「ラーゲリより愛をこめて」だ。
第二次世界大戦の混乱の中、最愛の妻と子どもたちと生き別れ、中国のハルビンで現地の兵士となった山本幡男は、終戦後捕虜としてソ連の収容所(ラーゲリ)に拘束される。ロシア語が堪能だった山本は通訳としてソ連兵と日本兵の橋渡しとして活躍しながらも、終戦後も解放されることはなく、きつい労働を強いられていた。
ある日、やっと解放され日本に帰国(ダモイ)できることになり、シベリア鉄道に乗せられたが、途中で列車は停まり山本と他の一部の兵士だけが降ろされた。彼らはそこからさらに寒さの厳しい地、シベリアに送られ今までよりもつらい強制労働をさせられるのだった。
映画が始まる前に「この物語は事実に基づく」という文字が出た。ふんふん、そうなのね、と思いながら観続けるうちに、あまりにも非情に長く続く苦しみの日々に「これが本当にあったことだなんて…」と、冒頭の「事実に基づく」という言葉がボディーブローのように体の奥に重く響いてきた。
戦争が終わったというのに、いつまでも日本の地を踏むことができない彼らは、食事も娯楽も理不尽に制限され続け、極寒の地で人間としての尊厳も踏み躙られながら、終わらない強制労働の日々。それが、何年後まで続くかもわからないまま毎日、毎日、ずっと。
ここからもう逃げられないのなら、と、自ら死を選ぶ方が楽なように思えるほどの当時の過酷な状況の中、二宮和也さんが演じる山本幡男という人は決して希望を忘れない。人の嫌な部分を見ても、人の心の暗い淵を知ったとしても、そこにある小さな希望を見つけて生きる。その生き様が強く美しくも哀しい。
シベリア抑留のことを知ってはいても、映像で知るとさらにショックだった。これは「戦後の混乱の中起こった不幸な出来事」と、説明するにはあまりにも酷い。当時を知る人はどんどんこの世を去り、忘れられて、まるでこんなことが無かったような時代になると、また繰り返されるのではないか、と、不安になるほどだった。
「soranji」という歌の全てが知りたくて観た映画だったけれど「soranji」と同様にこの「ラーゲリより愛をこめて」という作品は、わたしの中で忘れられない映画になった。
そして、またこれを観たあとに「soranji」を聴くと、ああそうか、この歌詞はあの場面を表しているのかな、などと映画の1シーンが浮かび、またぎゅっと胸が切なくなるが、この歌のおかげでいい映画に出会えたので観てよかったな、と思う。それから、わたしは今日も耳にイヤホンをつけてじっくりとMrs.GREEN APPLEの歌を聴いて落ち着いたり踊ったりして生きるを体現するのだった。