わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

ドキドキ夜道

 

息子(9)が夕方習い事に行くため、徒歩で送り迎えをしている。今までは息子が習い事に行っている間に1人で散歩を楽しんでいたけれど、最近日が落ちるのがすっかり早くなってしまったので、大体は送ったあと一旦家に帰り、また歩いて迎えに行くようにしている。

夕方と言えども、迎えに行く時間の18時すぎにもなると、外は真っ暗。まるで20時とか21時のように空は深く、人はほぼいない。もう少し明るければ犬のお散歩をしている人達もちらほら見かけたけれど、冬のこの時間はいつもシンと静かで誰も歩いていない。

ある日、迎えに行く道の途中の突き当りに人影があった。わたしはそこの突き当りを左に曲がらなければならない。手前にある街灯のせいで逆光となりハッキリとは見えないがシルエットは男性のようだ。体は丸く大きく、なんとなく仁王立ちをしているように見えた。わたしの愛するサバイバルホラーゲームDead by Daylightに出てくるクラウン(ピエロ)のような体型だ。ガスの詰まった小瓶を投げられたらどうしよう。いや、ばかなことを考えている場合ではない。

わたしが近づいているのはわかっているはずなのに、仁王立ちのまま動かない。右から通り抜けようか、いや、左からがいいか。でもなぜ仁王立ち…?念のために右手で固く拳を作りながら、男性に近づく。やっぱり怖いので「こんばんは」と、思い切って先に声をかけてみたら、男性はやっと少し体を動かして道を譲ってくれて、「こんばんは」と、返してくれた。ふー、怖かった。なに?この人は門番なのか?

こんなことがあったため、それ以来小さな懐中電灯を持って息子を迎えに行くことにした。懐中電灯の明かりを下に向けながら歩くと、暗い夜道にまるでわたしの周りに光のバリアができたように感じて心強い。

ある日もまたお迎えのため歩いていると、道の途中にある丁字路に差し掛かった。そこに近づくまでは気づかなかったけれど、丁字路の真ん中にいつのまにか人が立っていた。それは、びっくりするくらいの赤いニットのようなものを着たおばあさんのようだった。あまりにも鮮やかな赤だったので、他はショートカットだったことしか覚えていない。なんで、そんな赤い服...一体、どこで...

ふと、そのおばあさんが連続殺人鬼でその赤い服は今まで浴びてきた返り血をたっぷりと吸ったニットだったらどうしよう、と、頭に浮かんだ。わたしのこの無駄な想像力のせいでその赤い服が不気味に見えてくる。いやいや、ただのおばあさんだ。通り過ぎる時、そっと様子を窺ったら、わたしのことなど眼中になく、遠く空の方を見ていた。他に何もなくただじっと空を見ていたので、こんばんは、と声をかけるのも憚られた。

なーんだ、夜の空を眺めていたのか。丁字路の真ん中で。真ん中で?まあ、謎は残るが車の通りも少ないし、道路の真ん中で見たくなったのだろう。夜道に赤すぎる服が不気味だっただけで、きっと明るい場所で見たらきれいな赤なんだろうし。

さて、自分でもどうかと思うが、迎えに行くのに近道なので、途中で公園を横切ることがある。最近の公園は周りの住宅に配慮してか、電灯が少なくて暗い。なんだかポツンとした光が見える...と、思ったらベンチに座っていた人のタバコの火だったことがある。それくらい暗い。でも、ここを横切ると近いので、どうしても通ってしまう。

ある日もまた1人で公園を横切っていると、視線を感じた。ふと公園の中に目をやると、うんていにぶらさがっている細い細いおじさんがいた。ただ暗いので、おじさんはたまたまわたしの方に体を向けていただけで、わたしを見ていたかどうかまではわからない。18時だし、食後の運動かもな、と思って、通り過ぎた。

そしてふと思った。あれ?あのうんていって大人がぶら下がるには低くなかった?振り向いて確認しようかと思ったけどやめた。きっと、膝を曲げてぶら下がっていたにちがいない。そう思おう。

 

もちろん迎えに行くということは、そのまま息子とまた同じ道を通って家に帰るのだけれど、わたしが会ったこれらのちょっと変わった人たちは、幸いなことに息子と一緒に通る時には姿を消している。彼らは一体なんなのだ。もしかしたら一人で暗い道を歩くわたしを見守ってくれているのかもな、と、どこまでもポジティブに考えたけれど、やっぱり怖いので、最近防犯ブザーも持ち歩くことにした。そして、公園を横切るのはそろそろやめようとも思っている。(でも近道)

暑がりのわたしは冬が大好きだけれど、夜道を歩く時だけは、いつまでも明るい夏の夜が恋しくてたまらなくなるのだった。