わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

タイトルがおもいつかない

 

息子の学校の役員の仕事が多忙を極めている。会議が終わり、子どもたちが下校する10分前に急いで校門を出ては「じゃ、また明日ね」と、言いながら何度別れてきたことだろう。予定ではこういう日々が年内続くらしい。わたしは久しぶりに師走というものを体感している。

でも、そんな多忙な日々でも腐らずに毎回がんばれるのは、役員の人たちが全員いい人であることと、おやつ交換があるからだ!

最初は会長さんが帰り際に「これ、よかったら」と、飴ちゃんを配ってくれたことから始まった。疲れた頭に甘い飴が沁みた。と、同時に「あら、おやつ配っていいの?いいのね?」と、役員全体のおばちゃん魂のようなものに火がつき、次の回では示し合わせたように全員が各自おやつを持参していた。小梅ちゃんに、ルマンドや柿の種チョコ、フィナンシェにホームパイ、サク山チョコ次郎に、最中に、アルフォートが、長机の上をあちこちに飛び交った。みんなのお気に入りをおすそ分けするこの感じ、幸せだな、と思った。

学校内ではお菓子を食べてはいけないので、わたしたちはそれらを帰宅してから食べる。そして次の時に美味しかったよと言う。

そんな中、わたしがいただいた中で1番美味しかったのがコレ

f:id:zfinchyan:20241202005324j:image

パッケージも冬っぽくていい

f:id:zfinchyan:20241202005345j:image

大きさを比較するための小梅ちゃん

ぽってりした形が可愛らしいこのお菓子。そっと齧ると、コーティングされたホワイトチョコがパリパリとして、中のケーキ生地がほわほわで、唇に周りの粉砂糖がついて、幸せな気持ちになる甘さ。

わたしはあまりの美味しさに感動して、家族にも食べさせたくて、次の日すぐに買いに行った。家族も美味しいと気に入り、すでに3回は買ったと思う、と、ミルネージュをくれた本人に話したらちょっと驚かれた。「そんなに美味しかった?よかったわ!」と言ってくれたが、わたしが食いしん坊なことがバレてちょっと恥ずかしかった。だが、本当に気に入ったのだから、いいのだ。

それから、お気に入りだというはちみつ紅茶のティーパックをくれた人もいた。彼女曰く「はちみつ紅茶は値段で美味しさが決まる」らしい。彼女はお仕事をしているので、自分のための特別な紅茶を買えるけれど、仕事をしていないわたしにはちょっと手が出ない金額だ。でも、普段砂糖なしのミルクティーを飲んでいるわたしにしたら「はちみつ入りってこんなに美味しいんや!」と、衝撃だった。いつもは砂糖も入れないし、外でお茶をする機会もほとんどないし、疲れた時に甘くて温かい飲み物を飲むとこんなにもホッとするものなのか!と、びっくりした。というわけで、それ以来、毎回会議には水筒に温かいはちみつ入り紅茶を淹れて持って行くようにしている。

 

さて、そんなある日、セルフネグレクトという言葉を目にした。なんとなく知ってはいたが、ゴミ屋敷の中で暮らす、食事をしない、等の自分の生活の基盤そのものを放棄してしまうことを指していると思っていたら、自分の欲しいもの、やりたいことを何かしらの理由をつけて我慢し続けてしまうことも指すらしい。ふーん、と思ったものの、なんとなく頭に残る。だからといって何も、そのはちみつ紅茶を買いたいわけではない。

ここのところ、何もかも値上がりしてしまい、しばらく買うのを我慢しているものがあった。それはカフェインレスコーヒーだ。わたしは体質的にカフェインを摂ると不整脈が起きてしまう。紅茶のカフェインは毎日1、2杯なら全く問題ないのだけれど、コーヒーを飲むとほぼ起こる。検査の結果、心臓に問題はなく、心臓の動きを体に知らせる電気信号(の、ようなもの)がカフェインやストレスの影響でうまく作動しなくなるため、脈が飛んでいるように感じるらしい。けれど、わたしはコーヒーも好きなので、飲みたい。そこでカフェインレスを試したら2、3日に1杯なら不整脈が起こらないことがわかった。(ちなみに時々飲む大好きなコメダ珈琲のチルドカップは、2日に分けて飲んだり、息子たちと一緒に飲むようにしている)

ここ10年ほどは、家でコーヒーが飲みたいなと思ったら、カフェインレスを淹れて楽しんでいたのだけれど、夫はわたしと違ってコーヒーを何杯飲んでもなんともない。ある日カフェインレスのコーヒーが切れて買いに行ったものの、値段の高さに後ろめたく感じてしまい、買わずに帰りそれから1ヶ月ほどは、コーヒーなしの日々を過ごすことにしていた。

コーヒーがなくても紅茶があるし、ココアもある。すでに家にある嗜好品で楽しもう。元々コーヒーと体の相性は良くないのだし。

そう思って過ごしたものの、なんというか生活に彩りが減っていく気がした。「あ、コーヒー飲みたいな」と思っても、飲めない。普通のコーヒーを半分に減らして飲んでも、不整脈が起きるかなとビクビクしながら飲むので美味しくない。夫がよく牛乳で割って飲むアイスのボトルコーヒーも少しだけ水で割って薄めて飲む。それでも不整脈が起きる時には起きる。一応頓服の薬は持ってはいるが、大体が横になって様子を見ていれば数分で治まるので、そんなに深刻ではないのだけれど、やっぱり脈がおかしくなるとしんどくなってしまうし、怖くなる。

その時だ。セルフネグレクトという言葉を思い出した。もしかして、わたし知らないうちに今その状態じゃない?夫にこのことを話したらきっと「すぐに買いに行け」と言うだろう。でもわたし、今、自分で自分を戒めてない?

そこで、買い物に行ったついでに、えいやっとカフェインレスのコーヒーを買うことにした。久しぶりに家でチョコを食べながら飲むホットコーヒーはとても美味しかった。ああ、これこれ、と思った。紅茶も大好きだけど、やっぱりコーヒーの苦みはチョコとぴったり。また別の日はココアと一緒に淹れてカフェモカにして飲んだ。濃くて美味しい。でも飲んでも不整脈は怖くない。今本当にホッと一息ついてるな、と感じた。

時を同じくして「タイパ、コスパだけを考えて生きていたら人生は楽しめない。無駄も時にも必要だ」という言葉も目にした。生活上、それらを全く考えないわけにもいかないけれど、確かにな、と思った。なくてもいいもの、なくては困るもの、それぞれを見極めることは大事なことだと思う。わたしにとってカフェインレスのコーヒーは「なくなったら、さみしいもの」と、わかったので、一旦やめてみたのはいいことだったと思ったのだった。