ぽーんと放り出したい出来事や感情をだらだらと書いてみる。
ある日の出来事
ある日近所のスーパーに行ったら、駐車場の入り口でおじさんが自転車にまたがって佇んでいた。なんだかやけに駐車場がガランとしていると思いながら近づくと、入り口に鎖が張られている。そこに架けられた紙をよく見るとなんと臨時休業!もう、ごま油を買いたかったのにー!
ふと、おじさんが、なんというか、まるで叱られた犬のような目でじとっとこちらを見ているのに気づいた。その目が何か言って欲しそうだなと思ったわたしは独り言にしては、大きな声で「あれ?今日休み…?」と、言ってみた。するとおじさんは「せやねん、聞いてないで…」と、乗ってきた。「お買い物どうしたもんですかね」と、話しかけてみると「ほんまにな、困ったもんやで」と、ニヤリと笑って自転車の方向を変えて「ほな」と言って去って行った。
なぜ最後にニヤリと笑ったのかわからないが、予想外の出来事を共有できたので満足したのかも知れない。わたしもおじさんの後ろ姿を見て、ちょっと気が楽になり、まあ、ごま油は空になった瓶を逆さまに置いておけば数滴まだ出てくるか...と、諦めてのんびりとした気持ちになって家に帰ったのだった。
学校のボランティアへ
息子が通う学校へ友人たちとボランティア活動に行ってきた。その時5分ほど廊下で待つ時間があったので、ぼーっと立っていたのだが、ふと下を見ると学校特有の緑の廊下が目に入った。ああ、なつかしいなあ、と思った。
この廊下ってやけに冷たくて、スルスル滑るんだよなあ。小学校の時、給食の牛乳瓶の厚紙の蓋をメンコ代わりにして廊下に直に座ってよく遊んだな
そういえば、今では紙パックが多い給食の牛乳だが、大阪出身のわたしは全国どこでも昔は瓶入りの牛乳が給食で配られていたと思っていた。けれど、この前学校に行った時にちょうどその話になり、周りの友人に聞いてみたら、兵庫と愛媛出身の友人が「牛乳瓶だった」と言い、同じ関西でも奈良と京都の出身の友人は「紙パックだった」と言った。当時から紙パックの牛乳が普及していたのなら、わたしの住んでいた町でも紙パックにしてほしかったものだ。なぜなら、わたしは給食当番の時に回収した空の牛乳瓶がたくさん入ったカゴを運んでいる途中、階段から転げ落ちて手首を切ってしまったことがある。今思えばあれだけたくさんの牛乳瓶とともに階段から落ちたのに、よく手首だけの怪我で済んだなと震え上がる出来事だ。
そんなことをぼーっと思い出していたら、友人たちから「なにしてんの?」と声をかけられた。どうやら、わたしは全く別のところで待っていたようである。しまった。もちろんこのあと、学校の階段を降りる時は手すりをぎゅっと握りながら転げ落ちないように気をつけた。
つぶグミブーム始まる
ある日、息子(12)と夕方買い物に行ったら「これ買っていい?」とつぶグミを持ってきた。「弟の分も買っておいてあげてよ」と言ったが、最後の1つだったらしい。半分だけ食べて残りをあげることにすると言って、スーパーからの帰り道、早速食べ始めた。「食べる?」と息子がつぶグミを数粒くれたので、一気に頬張ったら「なにしてんの?!」と、叱られた。どうやらグレープフルーツ味がとても美味しかったようで、わざわざそれを含めて渡したのに一気に食べたら味がわからないではないか!と息子は怒るのである。
でも、フルーツジュースみたいな味でこれはこれで美味しいけどな、と思いつつ、つぶグミを食べる。外側がまるでゼリービーンズのようにしゃりっと少し固くて噛まずに舐めると飴のようだ。ちょっと歯に力を加えると、やや固めのグミが出てきて、一気にフルーツの味が口いっぱいに広がる。ふんふん、あ、これはマスカット味、これはグレープ味だな、とお菓子特有の甘いフルーツの味が楽しい。
息子から「次はこれだけ食べて!」と、グレープフルーツ味を1粒だけ渡された。ああ、なるほど、確かに爽やかなグレープフルーツ。美味しい。美味しいけどさ、柑橘系ってなんか芳香剤っぽくない?と、正直に味の感想を口にしたら「人が美味しいって言ったものを...!」と、また怒っていた。
結局2人で歩きながら食べていたら、息子(9)に残ったつぶグミは10粒くらいになってしまった。翌日、いつもの小児科にお薬をもらいに行った帰り、またつぶグミを買って今度は3人で食べながら家に帰った。やっぱり美味しくて、我が家には今つぶグミブームが来ている。買い置きは残り2袋。また買いに行かなくては。