わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

心が潤ったはなし

今週のお題「うるおい」

夏に東大寺の石畳で捻挫してしまった足がまだしつこく痛むので、重い腰を上げて友人から教えてもらった整形外科に行ってみた。

↓捻挫した時のはなし

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初めて行ったその整形外科は大きな窓から朝の光がたっぷりと入り明るい。そして受付の人の感じがとてもよかった。わたしにとっていい病院とは、お医者さんがしっかりしているのはもちろんだが、受付の人の感じのよさが、わりと重要になる。

さて、レントゲンを撮ってもらい、診察を受けた結果、骨や筋になんの異常は見当たらなかった。けれど、もうかれこれ3か月も痛むとなると、軟骨にヒビが入った可能性もあるが、それはMRIを撮らないとわからないらしい。痛みの原因は気になるものの、わざわざMRIを撮るのも大ごとだ。そもそもわたしは、7月に捻挫して以来痛かったのにも関わらず10月も末になってやっと受診したくらいのものぐさな人間なのだ。

「長いこと痛むなら、本当はリハビリも受けてもらった方がいいんですけどね」と、お医者さんに言われたが、もちろんそれも面倒なので「もう少し痛みが続くようなら考えます」と、サポーターと湿布だけいただいて帰ることにした。わたしとしては骨に異常がなければ、まあいずれ治るだろうと一安心したからだ。

 

待合室に戻り、お会計を待っていたら、さきほど診察室にいた看護師さんが扉を開けてこちらの方に出てきた。(わたし、忘れ物でもしたかな?)と、ポケットの中の携帯電話を確認していると、わたしの前の長椅子に座るおばあちゃんに「お久しぶりですね」と、声をかけながら隣にそっと腰をかけた。

ああ、このおばあちゃんはいつもこの整形外科に来ていたのか。久しぶりということは入院でもされていたのかな。

「ほんまやねえ、夕方いてはらへんから、会わへんかったねえ」と、おばあちゃんも答えた。

「あのね」と、看護師さんがゆっくりと話し始めた。「あの時はコロナで、病院の診察の仕方も変わってしまって」と、切り出した。どうやら、聞こえてきた話によると、数年前のコロナ禍の中受診したおばあちゃんにこの看護師さんは冷たく接してしまったらしく、それを謝り始めたのだった。わたしは聞き耳を立てるつもりはなかったものの、前を向くと2人の背中を凝視してしまう形になるので、なんとなく目線を手元の携帯に落とした。

おばあちゃんは一寸間を空けて「なんも、気にしとらんよ。そんなん」と、言った。おばあちゃんのその声は、2人の会話を今日初めて聞いたわたしにも、看護師さんの謝罪に思い当たる節があることがわかる声だった。全く関係のないわたしにも緊張が走る。

看護師さんは続けた。「嫌な思いさせたんじゃないかと、ずっと謝りたくて、でもあれからお会いできなくて」すると、おばあちゃんは優しい声で「あんた、ずっと気にしてたん?そんなこといいのに。あれはな、私も悪かったんや。そんなことより長男さんはもう大学生?」そんな会話のあと、受付からわたしの名が呼ばれた。会計の準備が出来たのだ。わたしは、2人の邪魔にならぬように静かに席を離れた。

 

あの看護師さんは自分でも忘れられないくらいに、おばあちゃんに冷たい態度を取ってしまったのだろう。そういえば、わたしもコロナが猛威を奮っていたあのころ、歯茎が腫れて痛むので歯医者さんに予約の電話をかけた時「大げさに聞こえるかも知れませんが、痛くて眠れないくらいなら診察します。でも我慢できるなら今はこんな時ですし、できれば...」と、迷惑そうに診察を断られたことがあった。また、扁桃腺が腫れて熱が出た時「発熱がある場合は来院前に電話を」と、書いてあるかかりつけの耳鼻咽喉科に電話をしたら「熱があるなら、内科に行ってコロナの検査をしてから来てほしいんです。というか、もうその内科で診てもらったらどうですか?」と、ひどく冷たく言われたこともある。

正直なところ、今思い出しても腹がたつ対応だったし、バチが当たっていつか痛い目にあえばいい、と思わなくもないが、あのコロナの真っ只中の頃は誰しも冷静ではいられなかったので仕方がないような気もしている。

この看護師さんの当時の態度や発した言葉をわたしは知る由もないが、何年も時が経ったあとに謝らなければと、思うなんて、よっぽどそれを後悔し続けていたのだろうし、行動に移すにはどれだけの勇気がいったことだろうかと、思った。そしてそれを責めることなく受け入れて自分にも非があったと言ったおばあちゃんの優しさにも胸を打たれた。

会話から察するに、おばあちゃんはこの看護師さんを避けるように夕方の受診に変えていたようだし、今日この時間の診察に来るまでの間、看護師さんから受けた態度や言葉を思い出しては傷つき続けていたのかも知れない。

けれど2人は再び同じ長椅子に座り会話をすることを選んだ。2人がこうして話す姿は数年前までこの病院ではいつもの光景だったのかも知れない。会計を終え、出口に向かいながらそっと振り向くと今度は2人で顔を見合わせて笑っていた。

ああ、なんかすごくいい瞬間だったなあ。まさに雪解けだった。また2人が話せるようになって本当によかった。こんな会話を聞くことなんてなかなかないことだと思った。まるで棚からぼた餅のように、幸せのおすそ分けをいただいた気分で、心がじんわりと潤った出来事だった。