最近、息子(9)を習い事に送り届けたあと、夕方に30分ほど散歩をするようにしている。
去年も同じ時間帯に息子(9)を送っていたが、当時は戻ってすぐに今度はまだ小学6年生だった息子(12)を塾へと送り出さなければならず、慌しくバタバタとしていたため、この時間に散歩をしようなどという発想すら思いつかなかった。
今は、夕食の準備さえ終わらせておけば問題がないので、週に2回夕方1人きりで30分ほど近所を歩いている。
普段は家から徒歩で行くことのできる距離のスーパーにも自転車でサッと行ってしまうが、そういう目的のあるものではなく、ただただ歩くという目的のない1人きりの散歩というのは心がとても穏やかになることがわかった。
こういう散歩の時間に、素敵で歩きやすい道、例えば川沿いの遊歩道や、田んぼの中の畦道とかが近所にあればいいのだが、残念ながらわたしが歩くのは自宅近くの住宅街である。見るものが空と車と家しかないので、人の家をチラッと見ながら歩く。
人の家はどれもよく見える。たまに夕焼けと白い家などが映えて思わず写真を撮りたくなるが、人の家を無断で撮るわけにもいかないので、ぐっと我慢する。他にはきれいに手入れされたお庭を見かけると足を止めてじーっと見たくなるが、これも不審者まっしぐらなので我慢する。
だが、たまにめちゃくちゃこだわりのありそうな表札や、出窓にびっしりとぬいぐるみやフィギュアなどを飾っているおうちがあれば、これはきっと見なければ失礼だよな、と言い聞かせて気持ち足をゆっくりと進めながら目で楽しむことにしている。
歩いていると、どこかの家から夕食のいい香りが漂ってきた。部活帰りらしき中学生とすれ違う。疲れているはずなのに目がキリッとしていて若さがある。玄関の灯りがつく瞬間を目にした。道沿いの家からシャワーを流す音が聞こえてくる。早い時間のお風呂は気持ちがいいだろうな。ちょうど車から降りた男の人が玄関のドアを「ただいま」と言いながら開けた。中から「パパ!」と聞こえる。あの人は今会社員からパパに戻ったのだな。散歩をしている犬が嬉しそうに飼い主の顔をずっと見ながら歩いている。でも飼い主は携帯に夢中だ。ちょっと、足元を見てあげなよ、と声をかけたい。君の犬、幸せそうだよ。
そんな人々の生活のかけらを見聞きすると「ああ、みんな生きてるなあ」とか「この家の数だけドラマがあるんやな」とか、とんでもなく壮大な思いになり、わたしの悩みや迷いや苛立ちなど「まあどうでもいいことよな」と、気持ちが軽くなっていく。(家に帰ったらまた腹が立ったりするけど)
わたしは普段、家で曲を聴くという習慣がないのだが、1人無言で歩いているといつも頭の中でうろ覚えの曲が流れるようになったので「なるほど、曲を聴きながらの散歩もいいかもな」と、最近は何かしらの歌を聴きながら歩いているのだが、これがまたいい。
今、目の前に広がるこの夕焼けに合う曲...と選んで、自分のためだけにイヤホンでそれを聴く。贅沢だなあと思う。
家に1人でいると、ゲームやネットについ時間を使いがちになってしまうが、外にいるとたった30分でも色々な目線で物を見たり考えたりできる。こういう時間が必要だったんだなあと思いながら、わたしは週に2回のこの時間を大切にしている。
この前の散歩の時に
「秋っぽくなってきた!」と撮った空