わたしがこの世の中で1番怖いもの、それは雷だ。
雷は恐ろしい。
大きな空から電気の塊が落ちてくるのだ。屋根がなければ逃げ場がない。冬場のあんな小さな静電気ですら、バチッと派手な音が鳴るし、全身に鳥肌が立つほど痛い。
それなのに、天から降ってくる雷が直撃なんてしたら…と考えると、その先にある死も怖いし、何よりどれだけ痛いだろうと思うと震える。
いつも、思う。もし、雷が鳴り響く空の下、だだっ広い原っぱの真ん中にわたしが取り残されたとしたら… きっとわたしはそこから逃げられるのであれば、それが国家機密だろうとなんでもペラペラ喋るに違いない。
それに、音も怖い。あんなにも大きな音が空から鳴り響くなんて何がどうなっているのだ、と、大人になってその仕組みを知った今でも不思議だ。わたしは元々大きな音が苦手なので、雷鳴なんて下手したら心臓は大きく跳ねるし、あの大きな音の衝撃は恐怖でしかない。屋根のある場所にいても、ピカッと光ったら今度はいつ大きな音が鳴るかとビクビクし続けないといけないのが非常につらい。
人によっては、雷なんて平気だよという人もいる。雷はそうそう簡単に落ちないよ、と。それを聞いてわたしは思う。落ちる、落ちないだけの話じゃないんだ。あの光と音がすでに恐怖なんだ、と。
先日も、空がどんどん暗くなり、空気がじめっと重くなっていることに嫌な予感を抱きつつ、さっと買い物を済ませるためスーパーに行き、レジに並んだ時、雷の音が聞こえた気がした。ふと、窓を見るともう空は真っ黒の雲でいっぱいだった。
わたしの番になり、ピカッと光った瞬間、レジの店員さんが「きゃっ」と小さく叫んで手を止めすぐさま「ごめんなさい!」と言った。わたし自身も(やっぱり雷だったか!)と、怖くてぎゅっと身を縮めていたので、店員さんの言葉に対応する余裕もなかったが、次にドーン!と、大きな音が鳴った瞬間、また店員さんは手を止めて「きゃっ」と叫んだ。そして「申し訳ありません!」と言うので、思わず「大丈夫です!わたしも雷怖いです!」と、屋内にも関わらず身を縮めながら答えた。
雷は怖い。仕事中とはいえ、光や音に反応してしまうのは当然のことだ。
店員さんは「ごめんなさいね、どうも雷が怖くて」と、わたしのことを同志として認めてくれたのかレジを進めながら打ち明けてくれたので「わたしもです。しかも、近いですよね」と語った。
レジが終わりお釣りを受け取る時には、
「帰り道、お気をつけて」
「お仕事終わりの時には雷が止んでるといいですね」
と、まるで「雷怖い同盟」の合言葉を交わすかのように、お互いの無事を心から願いあった。
雷が怖い、と言うとわたしの場合笑われることが多い。そのたびにわたしは笑うがいいさと心の中でほくそ笑む。今も京都のほんの一部に残る桑原という地名の由来を知れば、君だって雷の怖さを思い知るだろう、と。それまで「雷なんて」とせいぜい強がっていればいい。
ちなみに、さきほどの雷の日は、夫と2人で車に乗りスーパーに来て息子たちを家に残していたので、レジと袋詰めを終えて「雷が光った瞬間、車までダッシュする」という命懸けのミッションでスーパーの駐車場を駆け抜けて車に戻った。雷は一度光ると次のタイミングまで必ず時間が空くので、その瞬間を逃してはいけないのだ。
だが、家に戻っても、雷は激しく鳴り響く一方だったので、家の駐車場に止めて、車の中から電話をかけて留守番中の息子たちにお互いの無事を確認するという、近いのに会えないという、まるでSFの別時空をさまよったかのような時間を過ごした。
(夫はわたしの雷嫌いを重々理解しているため、わたしが「今なら車から出ても大丈夫」というまで気長に共に過ごしてくれていた)
わたしは誰になんと言われても、雷が怖い。
雷は怖いもの、だ。