不安な日々が続いている。
相次ぐ大きな地震に台風に、一体どうなるの?と空に向かって問いたくなるような状況だ。おまけに、お米がなかなか売っておらず、ついにスーパーでは、あまりにもすっからかんなお米売り場の棚を埋めるためになのか、サトウのごはんが大量に並べられるようになった。まるでレンガのように並べられた赤いパッケージのサトウのごはんが、深刻的な状況とは対照的にやけに賑やかで「いや、ごはんはごはんだけどさ…」と、マスクの下でニヤリと笑ってしまった。
しかも、地震に備えて売れてるのか、水も手に入りにくいらしい。わたしの両親は、あちこち回ったが水が売っていなかったので、とりあえず2Lのお茶を1ケース買った、と言っていた。
買い物に行けば欲しい物が当たり前のように売り場に並んでいたのはすでに昔のことで、マスクやトイレットペーパー不足が続いたあの騒ぎ以来、からっぽの棚にも慣れてしまった。まあ、そのうちに入荷してくるだろう、と、待つしかない。
それにしても、いつ来るかがわからない地震に怯えて暮らすのはとても疲れてしまう。窓がカタカタと音を立てると「地震?!」と体が緊張で一瞬固くなる。たいてい地震ではなく、大きなトラックが近くの道路を通ったか、強い風が吹いたかのどちらかだが、その一瞬の緊張の積み重ねは心と体に堪える。わたしが住む関西はここのところ大きく揺れていないので、いつかドンと大きな地震が来るのではないか、と、なおさらビクビクしてしまうのだ。
夏休みの終盤には、本当なら家族でどこかに旅行をと考えていたが、この不安材料が残る中にわざわざ行くべきなのか?と、大変迷っている。行くにしても、どこに行っても安全な場所などないような気もするし、かと言って家が一番安全な場所でもない気もする。
そんな中、夫が「とりあえず15日までに地震がなかったら、旅行のことをもう少し詰めて考えよう」と、言い出したので (なんで、15日なんやろう?) と、不思議に思いつつも、それが夫の中の締め日なのかな、と勝手に解釈していた。
が、ニュースを見ていたら「今回の巨大地震注意は、15日で一旦呼びかけ終了」と流れていたので、夫が「とりあえず15日まで」と言っていた意味がやっとわかった。よかった。夫がネットか何かで得た怪しい情報を元に根拠もなく15日と割り出していたらどうしようかと思っていた。ネットを見ていたら、今は個人レベルの情報まで知ることができる時代だから、物事が広い範囲でクリアに見えているようで、ただ余計に不安になるための材料を自分で探しているようにも感じてしまうようになってきたのだ。
南海トラフという大きな爆弾のようなものを抱えたまま、日本という国は今日も動くが、もし南海トラフが起きたとしてもできるなら歴史上最小限の被害で済むように、宮崎県や神奈川県など今回大きく揺れた地域の方の心が早く穏やかになるように、普段通りの夏休みを過ごせるように、空を見上げるたびに願うばかりだ。