わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。覚えておきたい出来事やお出かけの記録、おいしいものについてもよく書きます。

わたしたちの中学受験① 塾に通い始めることなったきっかけ

始まりは小学3年生だった

一体何から書けばいいのだろう

でもよく考えると、息子が中学受験をする最初のきっかけになったのは、やはり息子が小学校3年生の時の出来事だったと思う

 

息子が小学校に入学した時、1年生の同じクラスにCくんという男の子がいた。

彼は私たちの住む家の通りの一本向こうに住んでいた。

入学してから初めての参観の場でも、物怖じすることなく発言する彼は、良く言えば活発、悪く言えばお調子者という感じだったが、声も体も大きく、その堂々とした振る舞いは、私にも、そして息子の目にも立派に映った。

私たちの住む町は大きな住宅街なので、町内会の回覧板を回す範囲も細かく区切っている。しかも、通っていた幼稚園も別だったので、同じ町内でも会う機会がそれまで全くなく、通りの一本向こうにこんな男の子が住んでいたとは入学まで知らなかった。

 

そんな彼と息子が、再び同じクラスになったのは小学校3年生の時だった。

始めの方こそ、下校も一緒で(登校班は回覧板と同じ理由で細かく区切られているため別だった)帰宅した息子からはCくんとの楽しい出来事や会話をよく聞いていたように思う

それが、3年生の2学期のあとくらいから、息子が学校でCくんから受けた嫌なことを度々話すようになった。

 

些細なことでバカにされたり、嫌味を言われたり、服従させられたり、脅されたりなどと、チクチクと細かく嫌なことを山ほどされたのち、息子の我慢の限界を超えた決定的なことが起きた。

それは、ある日の放課後の下校時のこと。

息子とCくんの2人きりのタイミングで「今日帰ったら学校のグラウンドでみんなで遊ぼう」と誘われたのだが、息子がグラウンドに行くと、そこには誰もいなかった。

後から分かったことだが、Cくんは息子以外のみんなに「◯◯公園で遊ぼう」と誘っていた。

その公園は学校から離れた場所にあるところだった。

息子はグラウンドでしばらくみんなを待ったが誰も来ないので、帰ってきて大泣きした。もしかしたら、これに近いことが今までにもあったのかも知れない。

事実がわかったあと、珍しくCくんに「うそをつくな」と怒鳴ったらしい。

しかし、Cくんは「間違えて伝えてしまった」と最後まで認めなかった。けれど、間違えて伝えるにはあまりにも不自然だし無理があることは誰が見ても明らかだった。

その日公園で遊んだ息子以外のお友達も困惑していたが、Cくんの力は当時絶大だったので、Cくんを責める者は息子以外に誰もいなかった。

が、Cくんに続いて息子に意地悪や嫌がらせをする子も誰もいなかった。

 

Cくんに息子が怒りを表したあとも、彼はターゲットを変えることなく、一貫して息子だけを敵視し続けた。

担任の先生に相談もしたし、当時休みがちになっていた息子の様子に先生もCくんとのトラブルに気付いていた。

ある日、担任の先生が我が家に息子の様子を見に来てくれた。

その時に聞いたことだが、1学期はクラスのリーダーといえばCくん一択だったが、2学期になって、息子もクラスリーダーをすることが増えたらしく、それが気に食わないらしい。

先生は「まだ3年生なので、どちらかが100%悪いということはないと思う。どちらも何かしらの原因をお互いがそれに気づかないうちに作っていたと思う」と言った。

が、続けて息子にこうも言った。

「相手はたまたま同じ年齢で、たまたま同じ学校の同じクラスになっただけ。だから別に無理してこのまま友達を続ける必要はない。友達は自分で選んで作ればいい。先生は中立にいなければならないから君だけの味方はできない。でも、もし、Cくんとの関係を切りたいなら先生が立ち会うけど、どうする?」

何日も腹痛で学校に行けなくなっていた息子は先生の話を聞き、その次の日「友達やめてくるわ」と言って、登校した。

 

休み時間に、誰もいない教室を使わせてもらって、息子とCくんと担任の先生の3人で話をしたらしい。

息子は以前Cくんから物で数回殴られていたこともその時初めて明かしたが、Cくんはそれを認めつつも謝らなかったらしい。中立を強調していた先生も声を荒げて叱ってくれたらしく、最後は渋々謝ったという。

こんな関係は友達じゃない

もう一切僕に関わらないでほしい

そうはっきりと言ってCくんも「わかった」と了承して、話し合いの場は終わった。

 

私は息子がいつ早退しても迎えに行けるように自宅で待機したが、その日は息子は早退することなく話し合いのあとも授業に出て、清々しい顔で帰ってきた。

 

息子に学校以外の居場所を作りたい

友達をやめたあとも、やめる前にもCくんからはうんざりするくらいに他にも様々なことはもちろんされたが、

(例えば

  • Cくん側から息子にいじめられていると2度も告発されたり(そんな事実はないとクラスメイトが証言してくれたおかげもあり、担任の先生が解決してくれたし、2度目は先生のところで告発を止めて無視をさせてくれた)
  • リーダーを決める場があり、立候補した息子とCくんのうち、息子が選ばれた際に立ち上がって机を蹴って威嚇してきたりズルをしたと言ってきたり(負け犬の遠吠えやん)
  • Cくんが好意を持っていた女の子たちが揃って息子のことを好きだったと分かったり(それが原因やったん?!知らんがな!)
  • Cくんの親はさらに嫌なやつだった、とか(そら、そんな歪んだ嫌な性格の親に育てられたら、子どもも捻じ曲がって育つわな、と思った)

他にも様々なことはあったが、はしょって書くとこんな感じである。

うんざりするほど、息子の心は傷つけられたし、可能なら私もCくんを傷つけたいと思うほど、腹が立ち疲れる日々が続いた。

 

 

その時、私は思った。

「学校以外の場所を見つけなければ」と。

悔しい思いをしながら、腹痛と戦いながら、泣きながらも、学校に行かないといけないとがんばっていた息子の姿を見続けた時に、この先、もしまた学校に行けなくなっても、同じ年齢の子達がたくさんいて気持ちの逃げ場になる場所を作らなければいけない、と。

この世の中には意地悪な子だけではなく、いろんな子がいて、いろんな子と仲良くしていいんだよ、と、今よりも広い世界や価値観を見せてあげたかった。

 

そこで、今まで通信教育だけをしてきた息子に、習い事をさせることにした。

が、息子は運動が苦手である。

これ以上、嫌な思いはさせたくない。

プールはイヤ、野球もサッカーもやりたくない、プログラミングにする?ピアノは?柔道は?合気道は?ダンスなんて絶対にイヤ!!という押し問答もあった。

 

ふと、最近息子の通信教育が最近滞りがちなのに気づいた。ここのところ期限ギリギリになってから、まとめて解いてポストに出すということが続いている。

そこで、夫と「塾もいいかも!」と、習い事ではなく塾という選択肢が急に候補にあがったのであった。

 

 

続きはこちら

zfinchyan.hatenablog.com