わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。日々のこと、美味しいものや旅日記、好きな海外ドラマについても書いてます。

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嵐のはなし

 

2020年の12月31日に嵐が活動を休止した時のことはまだ覚えている。

自宅でTHIS IS 嵐のライブを配信で観終わったあと「もう、明日から嵐がいない」と思ったら悲しくて本当に胸に穴が開いたような気持ちだった。日を越えてめでたいはずの元旦も、空しくて悲しくてたまらなかった。

 

わたしが嵐のことを好きになったのは2004、5年のことで、何がきっかけかは忘れてしまったけれど相葉くんから好きになって気づいたら嵐に夢中だった。ファンクラブに入ろうと高校生のころから嵐ファンの友人に話したら、ファンクラブに入らなくてもチケット取ってあげるよ、と言われて、これまで嵐のライブには3度だけ行ったことがある。

結局ファンクラブに入りそびれて、それからはテレビで嵐を観ていた。すっかり嵐がテレビを通して自分たちの生活に入り込んでいたこともあって、突然の活動休止は相当ショックだった。リーダーのせいだ、とは思わなかったけれど、どうしてだろうと思ってしまう気持ちはあった。けれど、何度もあの会見の嵐の言葉を咀嚼して、NETFLIXのVoyageを観て、やっと飲み込むことができた気がした。

そして、今回5月31日のラストライブWe are ARASHIに向けて再始動した時には心が躍ったけれど、嵐がテレビに出ることはなかったので、わたしのなかで嵐はもうあの時終わってしまったのだと思うようにしていたら、ライブ配信があるということでもちろん観た。

 

そこにはちゃんと年相応の嵐がいて安心した。わたしたちと一緒に年月を重ねてくれた嵐が、あの時は閉めきれなかった宝箱の蓋を閉めるためだけにステージに立ってくれていた。ステージに立つニノの髪型は、あの大晦日に観たTHIS IS 嵐の時の髪型と同じだった。まるでそれは、あの日から今までが地続きでこれからもずっと繋がっていくんだよ、という優しいメッセージを伝えてくれているようだった。

一曲ごとに嬉しさと淋しさが募る。確実に近づいている終わりが見えてくる。初めから泣いているように見えた相葉くんの涙につられる。手足の長い相葉くんが躍るMonsterとtruthはやっぱりかっこいい。最後まで泣かないつもりだったけれど、ついに泣いてしまった。

あの大晦日に松潤が「これからも嵐の曲をたくさん聴いて下さい。僕もまた聴きます」と言ってくれたから、わたしは嵐の歌をこの5年間たくさん聴いた。聴けば聴くほど淋しくなる日もあったけれど、きっとわたし以外の嵐ファンの人たちも今どこかで同じ気持ちで聴いているだろうと思ったら、元気になれたから。

最後のメッセージの時、これからのことを言うメンバーの中で、リーダーだけがただ一人大野智のままだった。それがいいとか悪いとかじゃなくて、嵐だった自分を素のままの言葉で話してくれたことが嬉しかった。これまでとはまたちがった広くて豊かで自由な景色をリーダーには楽しんでほしいと心の底から思った。

それから、5年経ってから活動終了になったことは、よかったんだなと思えた。もしも5年前にコロナがなくて無観客じゃない普通のライブだったら、メンバーが何を言ってくれても、腑に落ちるまでに時間がかかったかも知れない。けれど、この5年で嵐じゃなくてもリーダー以外の姿はテレビで観ることができたし、5年経っても違和感も不穏な空気も全くなくあのころの嵐の5人のままで戻ってきてくれたことで、安心して宝箱の蓋を一緒に閉じる決心がついた。

「僕たちは、嵐でした」と締めくくったあと「いや、僕たちは、嵐です」と重ねて言った翔くんは流石だなと思った。一緒に配信を観ていた夫が「櫻井君ってすげえな」と言った。伝える言葉の美しさ、最後まで一番アイドルだと言う。そうなんですよ、うちの隊長はすごいんですよ。

 

ライブ配信が終わって落ち着いてから、ごみ当番の札をお隣さんの家のポストに入れに行かないと、と現実に戻って外に出てみたら、一緒に出てくれた息子(14)が、大きな満月に気づいて教えてくれた。眩しくて優しい光の満月が夜空に浮かんでいた。あとから、それがブルームーンと呼ばれている満月だったことを知った。この先、いつかまたどこかでブルームーンと聞いた時、もしくは優しい光の満月を観た時。わたしはあの夜の嵐の姿を思い出せるだろう。

 

そしてわたしは翔くんが「これからも嵐の楽曲を愛してあげてください」と言ったので、あれからたくさんの曲を聴いて口ずさんでいる。息子(11)は「今さら嵐の歌が好きになったわ」と言ってくれて一緒にFIVEをよく歌う。うんうん、それでいいんだよ。今から好きになってもいいんだよ。

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5年前に三ツ矢サイダーのラベルを使って記念に作ってみた水筒。でもちょっと恥ずかしくて使えていないし、多分これからも使えない。

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ありがとう、嵐

渡鳥家の食卓

 

長芋のグラタン

この写真を見て人は一体何だと思うだろうか

シチュー?

いいえ、これはグラタンです。

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こちらはある日の夕食。

ブロッコリースプラウトのサラダ、ほうれん草のおひたし、そしてグラタンである。

ちなみにお皿に取り分ける前のグラタンの姿はこうだ。

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まだグラタンとわかる姿をしている

わたしは自分の料理の腕に対して全く自信がないので、いわゆるグラタンの素を毎回使って作るのだけど、なぜかいつもこのようになってしまう。良く言えばトロトロ、悪く言えばシャバシャバ、そんなグラタンが出来上がってしまうのだ。

まあカチカチのグラタンよりかはいいのだけど、それにしたってお皿に取り分けた時に映えないったらありゃしない。

この日はグラタンを作ろうと前から決めていたのに、いざ夕方になって冷蔵庫の野菜室を開けたら肝心のじゃがいもがそこになかった。

自転車で走ってじゃがいもを買いに行くか、じゃがいも無しで作るか。一瞬だけ考えて、面倒な気持ちの方が買ってじゃがいも無しで作ることにしたのだけど、もうちょっと野菜室を探してみたら、長芋が出てきたので、長芋のグラタンを作ってみることにした。

ただ、長芋は生でも食べられるし炒めなくてもいいか、と、短冊切りにしてオーブンで焼く前に入れてみたら、トロトロのグラタンに対してジャキジャキの歯ごたえが残った長芋のグラタンが出来上がってしまい、作った自分が食べてもあまり美味しいものとは言えなかった。

次から長芋をグラタンに入れる時はしっかり炒めてから入れて、ホクホク感たっぷりの長芋グラタンを作りたいと思っている。ついでに欲張ると、もうちょっと固めのグラタンを作ってみたいものだ。

 

二人きりの夕食

この日は、夫は会食で不在、息子(10)も塾でお弁当を食べるので不在。というわけで、珍しく息子(14)と二人きりで食べる夕食の日だった。

しかも、この数日前、わたしと息子と話し合わなければならないことがあり、それが宙ぶらりんで終わっていたため、やや気まずいというか、正直に言うとわたしは心の中で息子に対して怒り狂っており、直前まで一人で外で食べてやろうか、などと考えていた日だった。

ところが、冷蔵庫には安かったので大量に買ったお茄子があり、それを使わないとまずかった。今日の夕食を外で一人で食べてしまったらお茄子が傷んでしまう。そこで、渋々作ったのが、この豚肉と茄子の味噌炒めである。

気乗りのしない息子との二人きりの夕食だったので、豚肉と茄子の味噌炒め、お味噌汁、ごはんの三点でいいや、と思っていたのに、いざ夕食の時間になったら突然ツナマヨが食べたくなったので献立に加えてみた。

わたしの座る椅子の向かいに、息子がブスッとした顔で座っている。息子もわたしと同じく、二人きりの夕食は気まずいし嫌だったのだろう。「いただきます」と、静かに食べ始めるわたしたち。室内には、テレビから聞こえてくるにぎやかな声だけが響くが、内容は全く耳に入ってこない。おそらく、きっと息子も同じだっただろう。

ツナマヨを温かいごはんに乗せて食べていたら、「ツナマヨ、食べていい?」と息子が聞いてきた。わたしの手元にあったツナマヨを食べたくなったらしい。息子に対して腹は立てていたけれど、もちろん「いいよ」と答えた。食べさせないという選択は食いしん坊のわたしにはない。

ツナマヨが入った器をテーブルの真ん中に置いて、二人でツナマヨ巻きを交互に作りながら食べることになった。

夕食を食べ終わったら自分でも信じられないくらい穏やかで落ち着いた気持ちになれたので、それまで無意味な音を流していたテレビを消して息子と二人で話し合った。

息子もまた、ツナマヨのおかげでそれまで着ていた鎧のようなものを脱ぐ気持ちになれたのだろう。これまで、わたしに対して息子が心の中で築いていた厚い壁がほろほろと崩れていくのを確かに感じた。

まだ問題は残っているけれど、この日を境に息子は少しだけ柔らかく変わった。そんな母と息子の思い出ごはんである。

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ちょっと甘めの味噌炒め

 

おさぼりの日のお昼ごはん

息子(14)が学校を休んだ。

これにはちょっと理由があり、仕方のないことだったのだけど、そんな姿を見て珍しく息子(10)が、自分も休みたい、と言ってきた。

息子(14)は、昔から弟の幼稚園が休みの日や、体調を崩して小学校を休むと分かると「自分も休みたい」と言って玄関でポロポロ泣くような子だったけれど、それに対して息子(10)はいくら兄が休みでも「いってきまーす」と、我関せず幼稚園や学校に行く子だった。

それが、兄と一緒に自分も休みたいと言うので、これは珍しいことだな、と、思い切ってズル休みさせることにした。一年のうちこういう日が一日あったっていいじゃないか、と、自分に言い聞かせながらであるけれど。

さて、元々わたし一人で過ごすはずだった平日のお昼ごはん。それが突然三人で過ごさなければならなくなった。かと言って、どこかに食べに行くわけにもいかない。というか、息子たちはただ静かに家で二人で一緒に遊んで過ごしたいと言う。

そんなわけで、家に買い置きしてあった韓国の辛い汁なし麺のブルダッククリーミー炒め麺を作って三人で分けて食べた。ちなみに添えてあるのは、前の茄子と豚肉の味噌炒めでも出てきた大量に買っていたお茄子をただ炒めたものである。

息子たちからは「茄子?いらない」と言われてしまったので、一本分わたしが食べるはめになったのだけれど、炒めて甘くなったお茄子とブルダッククリーミー炒め麺の相性がとても良くて、美味しく食べることができた。

この日、息子たちはただただ朝から二人でゲームをして、一緒に漫画を読み、おやつを共に食べてゆったりと過ごしていた。

忙しい子どもたちにはこういう日も必要なのだろう。

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くたくたに焼いたお茄子が美味

 

フレンチトースト

これまでのわたしのフレンチトーストの作り方は、前日の夜から牛乳と砂糖と卵を混ぜたものに食パンを浸しておいて、食べる日の朝にバターを溶かしたフライパンで焼くもの、だった。

ところが、数年前に、その作り方だとパンの中に染みた卵液に火が通り切らず生臭さが残ってしまう、とテレビで知って以来、食べる日の朝にほんの数分だけ食パンを牛乳に浸しておいて、バターを溶かしたフライパンで両面焼いたのち、砂糖と卵を混ぜたものを絡めながら焼く、という作り方に変えることにした。

すると、どうしたって卵感が強く出るので、見た目がフレンチトーストというよりは、平たい卵焼きのようになってしまう。

テレビで見たフレンチトーストはもっとちゃんとフレンチトーストだったというのに。果たしてこれは正解なのか?と、毎回フレンチトーストを作った時は首をかしげながら食べている。

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でも、味は美味しいのです

おまけ

夫作の豚こまタルタル

夫が晩ごはんを作ってくれる時によく候補にあがる料理名は「回鍋肉」「豚の角煮」「豚こまタルタル」である。

「豚こまタルタル」とは、夫がネットでレシピを見て、作りたい!と思った料理らしい。名の通り、豚こまに片栗粉をまぶして揚げ焼きにしたあと、甘辛いタレをたっぷり絡めて千切りキャベツの上にドーン!その上からさらにタルタルをドバーッ!…と、いう「こってり」以外の表現が見つからないこってりとした食べ応えのあるお料理である。

これまでに夫が何度か作ってくれたのだけど、夫以外の家族がこれを食べきれたことがない。しかもこってりしているため、胸やけもするので、わたしたちはちょっと苦手なのだけど、夫はこれがたまらなく好きらしい。

先日「豚こまタルタルを作らせてくれぇ」と夫が言うので、日曜日の晩ごはんとして作ってもらうことにしたのだけど、今回もやっぱり夫以外は食べきることができなかった。甘辛いタレがごはんにもぴったり、千切りキャベツももりもり食べられる美味しい豚こまタルタルだけど、きっと夫は自分が好きだからこそ作りすぎてしまうのだろう。

美味しい、美味しいけれど、ちょっとヘビーな夫ごはんなのだった。

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つやつや、こってり

夫の作るごはんはとても美味しいけれど、量が多いのが難点 ↓

zfinchyan.net

47歳のぞうさん

 

わたしには、仲のいい叔母がいる。

その叔母は、わたしの母の妹で、長い間わたしの家族と、叔母家族は、同じ団地の同じ棟に住んでいたこともあり、叔母はわたしが幼いころから大層かわいがってくれた。

叔母は、わたしに息子(14)が産まれた時は、家に来てわたしが楽できるようにと晩ごはんを作ってくれたり、なかなか会えない時でも、息子たち宛に毎年クリスマスにはカードを送ってくれるなど、離れていてもいつも気にかけてくれていたのだった。

 

さて、そんな叔母の子ども、つまりわたしのいとこに、先日赤ちゃんが産まれた。ちなみにこのいとこはわたしより10歳年下で、叔母に似てとても美人だ。

母と早速出産祝いを一緒に買いに行って、いとこが里帰り中の叔母の家に会いに行く日取りが決まった。

わたしは、自分自身もそして息子達も叔母にとてもかわいがってもらったので、出産祝いにはたくさんお洋服やおもちゃを買いたかったのだけど、あまり一気に買っても気を遣わせるから、と、父と母に止められてしまった。

そんなわけで、0歳から使えるアンパンマンのおもちゃセットだけを買ったのだけど、ふと大好きだったぞうさんのことを思い出した。

 

ぞうさん、とは、わたしが産まれた47年前に、産まれたばかりだったわたしのためにと、叔母が旅行先の軽井沢で買ってきてくれた赤い紐のついた木彫りのぞうさんのおもちゃのことである。

わたしは幼いころから、紐を引いて一緒に歩けるこのぞうさんのおもちゃが大好きで、これまでずっと大事にしてきた。

結婚をして大阪の枚方から京都に引っ越してきた時も「いつか、自分に子どもが産まれたら」と大切にしていたし、実際に、その立派な木彫りのぞうさんはとても頑丈なので、息子たちも幼いころは遊ばせてもらった。

そんな息子たちも大きくなり、今度は「いつか息子たちに子どもが出来たら」と、おもちゃ入れにしまっていたのだけど、ふと、これは叔母にとっての待望の初孫であるいとこの子ども(いとこの子どもは何と呼ぶのだろう?と調べてみたら、従甥「いとこおい」と呼ぶらしい)に、受け継ぐべきではないか?と、思った。

 

幼いころから、いつも身近にいたぞうさん。

最近ではぞうさんを二階のおもちゃ入れに置いていたので、洗濯物を干す時はいつも目に入るところにいた。

正直なところ、大好きなぞうさんを手放すことにさみしい気持ちはあったけれど、このままわたしが持っていても、ぞうさんはしばらく遊んでもらえないだろう。それならば、これからすくすくと育ってくれることを願って、叔母の大事な孫である従甥に手渡すべきなのだと考えた。

叔母の家に行く前日の夜、久しぶりにぞうさんを抱きあげて、大好きだったすべすべの手触りの木の体をたくさん撫でた。やっぱり、手放したくない。でも、ぞうさんは、子どもに遊んでもらうべきなんだ。

たくさんのありがとうを心の中で言った。知らない人にあげるわけじゃないし、きっと叔母も喜んでくれるに違いない。

 

久しぶりに叔母に会った当日「これ、覚えてる?」と、ぞうさんを見せたら「これ、私が買ったやつやんか!」と、とても驚いてくれた。わたしがずっと大切にしていたとは知らなかったらしい。

「これは従甥くんに遊んでもらうべきやな、と思って」と、アンパンマンのおもちゃセットと一緒に手渡すと、叔母は「まだ持ってくれてたんや」と、いとこよりも「ありがとう」と、とても喜んでくれた。

いざ手からぞうさんが離れてしまうと、さみしい気持ちももちろんあったけれど、嬉しそうな叔母の顔を見たら「これでよかった」と、ちゃんと思えた。

 

そんなわけで、47歳のぞうさんは、わたしの手から離れて、やわやわでほわほわのかわいらしい赤ちゃんの元へと受け継がれていった。わたしや息子たちがそうだったように、あの子が立って歩くようになった時には、きっとぞうさんも一緒にコロコロとついて行ってくれることだろう。

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今までありがとう

大好きなぞうさん